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SCUBAダイビングにおけるヒヤリ・ハット意識調査から見た事故分析
高野 修 筑波大学大学院 高度競技マネジメント研究室
<研究の背景>
我が国におけるSCUBAダイビング(以下、ダイビング)事故は、過去25年間減少傾向になく、近年では、中高齢者の事故が増加傾向にある。
DAN・Japanによる事故報告(H24と分析によると、平成24年の事故者数は過去10年間で最も多い
58人、うち死者・行方不明者が22人おり、中でも中高齢者の割合は全体の67%、死者・行方不明者中の97%を占めている。
中高齢者におけるダイビング事故発生時の死亡率が高いことに対する危機感は、ダイビング指導現場でも深刻な問題と認識している。
ダイビングの普及や発展の一方で、減少傾向を見せないダイビング事故の背景には、これまでの事故要因を精査した指導体制の検討や改善、事故予防を重視した教育内容の未整備があると考えられる。また活動を行う者の意識や、運用上の問題もあると推察する。
1 中高齢者の定義は40歳以上とする
2 Diver Alert Network Japan
[ 研究の目的 ]
今後、我が国においては一層の高齢化が進み、中高齢者による活動へのさらなる参加拡大が予測される中、
ダイビング事故の発生機序や誘因を明らかにすることは、ダイビング事故発生抑止の一助となると思われる。
以上のことから、陰に隠れた事故である「ヒヤリ・ハット」の実態・原因・傾向を調査し、世代別に比較・
整理・分析することによって、主な事故の発生誘因を探る。
また、それらの結果をもとに現在の教育課程における課題を抽出し、改正すべき点を検討することによって、ダイビング事故防止に資することを目的とした。
[ 分析の概念 ]
ハインリッヒの法則に基づいて、これまでの事故を整理することとした。
そこでは「1つの重大な事故・災害」を訴訟にまで発展した重大な事故、「29の重大な事故・災害」を
公的機関(海上保安庁)より報告されている一般的な事故、「300件のヒヤリ・ハット」を重大な事故に
発展したかもしれない危険な出来事、すなわち陰に隠れた事故として捉え、それぞれを「裁判事例」、「事故事例」、「ヒヤリ・ハット」の三区分として位置づけ、区分ごとに調査した結果をもとに、比較・分析を行った
(図1)。
図1
公的機関によって対処されることなく事故には至らなかったものの、ほんの少しの条件の変化によっては大きな事故となり得た事例のことを一般的に「ヒヤリ・ハット」経験と呼んでいる。これらの事例については報告されることなく、関係者各個人の経験の中に留まり公表される機会はない。これら隠れた事故を把握するために、調査することとした。
[ 調査分析方法 ]
調査は、静岡県所在のダイビングスポット(10ケ所)のインストラクターおよび一般ダイバー585名(内訳は図2の通り)について行った。
3 平成24年度筑波大学体育系の倫理審査委員承認(体 24-56 号)
データはSPSS19.0J for Windowsを用いて、χ二乗検定を行い、関連性の判定には、ファイ(以下φとする)係数およびCramarのⅤ係数、有意差判定には調整済み平均残差(以下ASRijとする)による残差分析を用い、
必要に応じて多重比較検定も併用した。
有意水準はすべて5%とし、CramarのⅤ係数の関連度判定は出村の言う0.1を低度、0.3を中度、0.5を高度とする解釈を参考とした。
関連が考えられる項目は、Odds比(以下ORとする)を活用して原因を統計的に探った。
図2 調査対象者内訳
[ 結果と考察 ]
インストラクターにおいては、回答者134名中、ヒヤリ・ハット経験なし1名、欠損4名を除き、129
名(96%)がヒヤリ・ハットを経験していた。
ヒヤリ・ハットを経験した時の活動内容については、一般ダイバーであるゲストを「ガイド中」が最も多く
(55%)、状況については、ゲストを引率中に「はぐれたまたははぐれかけた」という回答が87名で最も
多かった(図3,4,5)。
また、一般ダイバーにおいては、回答者451名中、ヒヤリ・ハット経験なし122名、欠損5名を除き、324名(72%)がヒヤリ・ハットを経験していた。
ヒヤリ・ハットを経験した時の活動内容については、「ガイド付きファンダイビング中」(52%)が最も多かった。
状況については、「インストラクター・ガイドとはぐれたまたははぐれかけた」という回答が82名、次い
でバディとはぐれたまたははぐれかけた」73名という結果であった(図3,4,6)。
ヒヤリ・ハットの経験が無いと回答した一般ダイバーの122名に対し、その理由について質問したところ、「無理をしないから」と回答した者が最も多く76名、次いで「インストラクター・ガイドに任せているから」と回答した者が44名であった(図7)。
図3 ヒヤリ・ハット経験の有無
図4 ヒヤリ・ハット時の活動内容 複数回答可
図5 講習中またはガイド中のヒヤリ・ハット時の状況(インストラクター)複数回答可
図6 全体の活動としてのヒヤリ・ハット時の状況(一般ダイバー)複数回答可
図7 ヒヤリ・ハット経験なしの理由(一般ダイバー)複数回答可
一般ダイバーの、ヒヤリ・ハット経験と年齢の関連については、40歳以上の者(中高齢者)に比べて39
歳以下の者(非中高齢者)の方がヒヤリ・ハットの経験が少ないことが分かった(図8)。
年齢と経験を示す経験本数に有意差(***p<.001)があったことから、40歳以上に比べて39歳以下は
経験本数が少なく、よってヒヤリ・ハット経験が少ない、またはそれに気がついていないとも考えられる。
図8 ヒヤリ・ハット経験と年齢の関連(一般ダイバー)
年齢別にヒヤリ・ハット内容を比べると、3点に着目することができた。
「インストラクター・ガイドとはぐれたまたははぐれかけた」については、双方のグループにおいて多くの件数が示されており、トラブルの発生原因となりやすいものと言える。
「耳抜きトラブル」と「エア切れまたは切れそうになった」については、件数が多くかつ年代別による差の開きが大きいところに特徴がある(図9)。
スキルの内容を見ると、39歳以下いわゆる経験本数の少ない者は、スキルの未習熟から起こり易いと言える内容に、また40歳以上いわゆる経験本数の多い者については、慣れによる過信から起こり易いと言える内容にヒヤリ・ハットを多く感じている可能性がある。
図9 年齢別ヒヤリ・ハット経験内容(一般ダイバー)複数回答可
インストラクターが行うC-カード認定講習において、講習生の平均的スキル習熟度(「知識の習熟度」と「技術の習熟度」)を自己評価した場合、「同等レベル同士でのバディ潜水」
が最も低く、次いで「ナビゲーション」、「潜水計画立案」 が低いと自己評価をしていることが分かった(図10)。
一般ダイバーが自身のスキルを自己評価したものについても、同様のスキルが低いと自己評価していた。
図10 講習生のスキル習熟度(インストラクター)複数回答可
ヒヤリ・ハットを感じたときの状況について、「はぐれたまたははぐれかけた」が最も多い回答であったが、その「はぐれた場合の対処法」のスキル習熟度を見た場合、インストラクター、一般ダイバーともに、50%
以上が「かなり高い-やや高い」と自己評価しているものの、「すごく低い-あまり高くない」と自己評価している割合を見てみると、インストラクターに比べて一般ダイバーの方が多いことが分かった(図11,12)。
一般ダイバーは「はぐれた場合の対処法」について、インストラクターが感じている以上に、スキルが高くないと自己評価していることが考えられる。
図11 はぐれた場合の対処法(知識)
図12 はぐれた場合の対処法(実践)
また、いずれかのスキル習熟度に「すごく低い-あまり高くない」と回答したインストラクターに対して、
「習熟度を高くするために必要なことは?」(複数回答可)という質問をしたところ、最も多かったのは、
「参加者の講習に取り組む姿勢の向上」、次いで「講習日数の増加」という結果であった(図13)。
現在開催している講習日数については、3~4日間という回答が最も多く、中には2日間という答えもあっ
た。
図13 習熟度を高めるために必要と思われること(インストラクター)複数回答可
[ ま と め ]
(1) インストラクター・一般ダイバー共通の観点から
・ヒヤリ・ハット経験において、「はくれたまたははぐれかけた」が最も多い
・スキル習熟度を自己評価した場合、「同等レベル同士でのバディ潜水」、「ナビゲーション」、
「潜水計画立案」が低いと評価している
(2) インストラクターの観点から
・96%が講習中またガイド中にヒヤリ・ハットを経験している
・スキル習熟度を高くするためには、「参加者の講習に取り組む姿勢の向上」、
次いで「講習日数の増加」が必要と感じている
(3) 一般ダイバーの観点から
・72%がダイビング活動中にヒヤリ・ハットを経験している
・ヒヤリ・ハット経験内容において、経験本数の少ない者は、スキルの未習熟から
起こり易いと言える内容に、また経験本数の多い者については、慣れによる過信
から起こり易いと言える内容にヒヤリ・ハットを多く感じている可能性がある
[ 調査・分析から見た可能性の提案 ]
-事故防止の観点から-
(1) 講習日数と内容の再検討(学習環境)
(2) 認定後の知識・技術の再確認(活動内容)
(3) 中高齢者向け教育課程の新設(身体資質)
(4) 指導者育成課程における中高齢者指導方法の追加(カリキュラム)
[ 調査・分析を通じて感じたこと ]
講習およびファンダイビングにおいて、「インストラクター・ガイド」と「ゲスト」との認識の隙間、また、「インストラクター・ガイド」と「指導団体」、「ゲスト」と「指導団体」、それぞれの認識の隙間が、事故誘因の一因となっている可能性がある。
これらの隙間を埋めることが、事故防止に繋がるとも考えられる(図14)。
図14 三者間での認識の隙間
[ 隙間の可能性の一例 ]
(1)ゲストの立場から
① 器材のセッティングやスキルを忘れてしまったけど、教えてもらえるだろう・・・
② インストラクター・ガイドがいつも自分を見てくれている・・・
③ 気象・海象が自分のスキルでは不安だけど、インストラクター・ガイドが潜ると言うから大丈夫だ
ろう・・・
④ 誘われたから気乗りしないけど潜ろうか・・・
⑤ ファンダイビングで来ているのにあれこれ言われたくない・・・
⑥ いつものお店(インストラクター・ガイド)だから分かっているだろう・・・
上記を総括した認識として、「トラブルが起きても助けてもらえるだろう」
(2)インストラクター・ガイドの立場から
① 知っているだろう・・・教えてあるから・言ったから大丈夫だろう・・・
② ゲストが自分を見てくれている、ついてきているはずだ・・・
③ 気象・海象がよくないけど、お客様または利益のために潜ろう・・・
④ 講習ではないからあれこれ言う必要はないだろう・・・
⑤ いつものゲストだから分かってくれているだろう・・・
上記を総括した認識として、「ダイビングは自己責任だから・・・」
(3)指導団体の立場から
世界標準に合わせたコース基準、カリキュラムに基づいているから問題はないだろう・・・
→上記の認識として、「現場では運用しきれていない可能性も・・・」
[ 今後の課題 ]
現在、ダイビング活動人口の詳細が把握されていないため、ダイビング活動人口を分母とした事故増減の分析は難しい。
ダイビング講習という教育ビジネスを行う上でも、マーケット人口を把握することは必要である。
本研究は、伊豆半島における限定的な調査であったが、今後は全国規模、海外などでの調査も行う必要があると考える(図15)。
図15 今後の課題
[ 参考・引用文献 ]
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