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              地球最後のフロンティア深海

              有人潜水調査船しんかい2000としんかい6000の挑戦



                                           田代 省三

                                 国立研究開発法人海洋研究開発機構 海洋工学センター






 【要約】

   国立研究開発法人海洋研究開発機構(JAMSTEC)が運航する有人潜水船は、2004年にリタイアしたしんかい2000しんかい6500両船
併せて約3,000回の潜航を重ねている。この間、人類にとって未知の世界であった深海で数多くの発見を成し遂げた。特に日本近海での熱水
噴出域の発見は、現在海底鉱物資源として注目を集めている熱水鉱床開発への契機となった。


  1981年に就航したしんかい2000は、1984年から開始した熱水噴出域調査において、1986年沖縄トラフでの熱水マウンドの発見、
1988年同じ沖縄トラフでの熱水チムニーの発見、同年の伊豆・小笠原での熱水噴出域の発見、1989年の沖縄トラフでのブラックスモーカ
ーの発見と続く。現在日本近海で確認されている熱水噴出域の約9割は、このしんかい2000しんかい6500が発見した。

  本文では、これらJAMSTECの有人潜水船の熱水探しの歴史と熱水鉱床の開発状況、またこれからの有人潜水船の動向についてまとめる。


 Summary

   Manned Deep Submergence Vehicle Shinkai 2000 and Shinkai 6500 which were operated by Japan Agency for Marine-Earth Science
and Technology (JAMSTEC) had done the total dive of about 3,000 times, however Shinkai2000 was retired in 2004. During this
time, they had done a number of discovered in a deep-sea an unknownworld for mankind. In particular, the discovery of many
hydrothermal vents in the Japanese waters, has become an opportunity to hydrothermal deposits development has attracted the
attention now as the seabed mineral resources.


  Shinkai 2000 was commissioned in 1981, and the first hydrothermal field investigation was started in 1984 at the Okinawa
Trough, the discovery of hydrothermal mound at the same Okinawa Trough in 1986, the discovery of hydrothermal chimney in 1988 at
the Okinawa Trough, and in the same year the discovery of hydrothermal field at the Izu-Ogasawara, at last, the discovery of the
black smoker which was jetting out the hot water of 320
at the Okinawa Trough in 1989. Shinkai 2000 and Shinkai 6500 had
discovered about 90% of the current hydrothermal vent site in Japanese waters.


  In this paper, the discovery history of the hydrothermal vents at Japanese waters by JAMSTEC deep submergence vehicles, and
the development status of the hydrothermal deposit, also summarized the future trend of manned submersibles.





 1.海洋科学技術センター (現国立研究開発法人海洋研究開発機構)

   設立までの経緯


  1960年に英国が北海での海底油田開発を開始以降、飽和潜水技術の開発は主にフランス、アメリカで精力的に進められた。

  1965年、日本は科学技術庁による「潜水技術の開発についての総合研究」が開始され、本格的な飽和潜水技術の開発が開始された。
1966年、東京医科歯科大学の実験設備完成、1967年海上自衛隊の潜水医学実験部の設立、翌1968年には日本で最初の飽和潜水
シミュレーション実験、1970年には「シートピア計画」と名付けられた100m飽和潜水シミュレーション実験と研究開発が進んでい
った。

  科学技術庁と海上自衛隊で進められてきた飽和潜水技術開発の一元化を図るため、また、広大な日本の大陸棚での石油等のエネルギー・鉱物
資源開発に強い関心を持つ産業界は経済団体連合会を通じて政府に要請、それを受け科学技術庁が、1971年に政府と民間それぞれ半分ずつ
資金を出資し運営される特別認可法人海洋科学技術センター現国立研究開発法人海洋研究開発機構、以下JAMSTEC という)を設立した。

  JAMSTEC 設立の翌年1978年から「シートピア計画」の実海域実験の開始、1975年の100m海中居住実験の終了、1978年の
300mシミュレーション実験を経て、1985年の海中作業実験船かいようの就航から300m3実海域飽和潜水実験「ニューシートピア
計画」に引き継がれ、1990年に最終目標であった300mでの実海域実験の成功で幕を閉じた。

  日本における大深度有人潜水船の開発は、1964年アメリカのウッズホール海洋研究所が中空耐圧の微小なガラス球をエポキシ樹脂で固め
たシンタクティックフォームを浮力材として初めて使った軽量・小型の有人潜水船Alvin の完成に触発され、民間企業での検討から始まった。
1968年科学技術庁が「海洋科学技術審議会」において6,000m級潜水船の必要性を提言、翌年から本格的な建造検討に入りJAMSTEC に引
き継がれる。6,000m級潜水船の開発は、飽和潜水技術の開発と共にJAMSTEC 設立の主目的であった。



        



 6,000m級有人潜水船は、当時海上保安庁が運航する潜水船しんかいの最大潜航深度である600mからのギャップが大きく、1976年
に技術的な検証を中間深度の2,000m級潜水船の建造で行うこととなり、1977年からその基本設計が始まった。しんかい2000は1981
年に日本で最初のシンタクティックフォーム利用の有人潜水船として完成した。また、しんかい2000での様々な技術スタディーを経て、8年後
の1989年に当時世界最大の潜航深度を誇るしんかい6500が完成した。



 2.有人潜水船の歴史


  日本における有人潜水船の開発は、山口県の資産家西村一松が自らの設計と資金で1929年に建造した最大潜航深度300mの西村式豆
潜航艇1号
から始まっている。当時世界には、アメリカの生物学者William Beebeが1932年に923mの潜航に成功したBathysphereしか
見当たらない。しかし、Bathysphereは乗り込む鋳鉄製の球を海面からぶら下げただけの原始的な乗り物で、ケーブルなし、バッテリー、水中
電話やマニピュレータまで備えた西村式豆潜航艇1号と比較出来るような潜水船ではなかった。実は有人潜水船のパイオニアは我々日本人なの
だ。

  その後の潜水船開発は、1948年スイスの地球物理学者Auguste Piccardがベルギー国立科学財団(以下、FNRSという)の支援を受け建造
したFNRS-Uから再開する。FNRS-Uは、海底から戻ってくるための浮力をガソリンと海水の比重差で作る画期的な潜水船であった。このガソ
リンを使う潜水船を特にバチスカーフ(Bathyscaphe)と呼ぶ。

 当時、世界一の海中技術を持っていたフランスは、FNRSから無人潜航で開発が止まっていたFNRS-Uを譲り受け、大改造を施しFNRS-Vを完
成、1954年に4,050mの記録を作った。1960年、アメリカ海軍とA. Piccardの息子Jacques PiccardTriesteによる地球最深部
マリアナ海溝10,916mでの潜航までバチスカーフは進化を続けた。

  1964年の軽量・小型のAlvinの完成により、それまで未知の世界であった深海に研究者自らが行き、様々な調査が行えるようになった。
なお、このAlvinは、当初の鉄製の耐圧殻をチタン製に交換し、現在でも最も進化した有人潜水調査船として活躍している。




 3.潜水調査船の仕組

    しんかい6500を例にその仕組みと潜航手順を簡単に説明する。


    キーワード:飽和潜水技術、有人潜水船、シンタクティックフォーム、熱水噴出域、チムニー

        


             



 しんかい6500には、前述のシンタクティックフォーム(比重;0.54)がその船体にぎっしり搭載されており、空中重量約26tの船体が
最大潜航深度の6,500mで約600kgの浮力を持つように作られている。潜航前、その船体に約1,200kgのバラストと呼ばれる鉄板
を積層した錘を搭載することにより約600kg重くなり下降する。高度約100mで搭載しているバラストを半分切り離すことにより、浮力
と重量が釣合い海底では見かけ上重さの無い状態「中性浮力」となる。この状態で船体に取り付けられた垂直スラスターで海底にゆっくり着底
する。

  海底では、サンプルの採取、観測機材の設置・回収等でこの中性浮力のバランスが崩れる。それを補う為、容量300リットルの海水タンク
への注排水によりしんかい6500は常に中性浮力を作れるようになっている。海底での調査が終わったしんかい6500は、船体に残る約
600kgのバラストを切り離すことで、自らの浮力で海面まで帰って来る。


  下降・上昇の速力はどちらとも最大約45m/分である。日没前の揚収の為海面?海面の時間を8時間と規定していることから、
水深6,500m海域での潜航は、下降・上昇に必要な時間である約5時間(片道;2.5時間)を差し引くと、海底での調査時間は3時間に
なってしまう。もちろん、潜航深度が浅い場合は、下降・上昇に要する時間が短くなるので、調査時間は最大6時間程度となる。


  船室にあたる耐圧殻は内径2m、肉厚73.5mmのチタン合金(Ti-6Al-4V)製の真球の玉で、1名のオブザーバー(研究者)と2名の操縦
士計3名が乗船する。ハッチを閉鎖した耐圧殻内には乗員3名の呼吸量に併せ純酸素を直接O2ボンベから噴射する。

  また増加するCO2は、送風機を介し顆粒の水酸化リチウムで吸収する。そのため、耐圧殻内は気圧も含め地上と同じ環境に保たれる。ただし、
純酸素を使っていることから火気は厳禁、例えば日本海溝の水深6,500mでは海水温が1.6℃程度まで低下し耐圧殻内も寒くなるが暖房
器具は持ち込めず、真夏でも防寒着は必須となる。しかし、「狭い・寒い」この2点を我慢すれば、飽和潜水のような長時間の減圧が要らない
ことから、誰でも深海底に行くことが可能となる。




 .熱水噴出域の発見


 しんかい2000が就航した1981年は、Alvinによる1977年の南米ガラパゴス沖での熱水生物群集や1979年の中米沖東太平洋海膨
での約300℃のブラックスモーカーの発見により、世界の海洋研究者の注目が深海底に集まっていた。当時、この世紀の大発見「熱水噴出域」
の調査を行える潜水調査船は、Alvin(当時の最大潜航深度4,000m)と、フランスのCyana(最大潜航深度3,000m)しかなく、期せ
しんかい2000はタイムリーな完成となった。

  1982年1月26日の初潜航後約1年間の慣熟訓練を経て、1983年から調査潜航を開始したしんかい2000は、1984年初めての
熱水噴出域調査を沖縄本島の西側沖縄トラフで行った。同年並びに翌1985年の調査は不発に終わったが、1986年の42℃の熱水マウン
ドの発見、1988年の熱水チムニーの発見、1989年には320℃の真っ黒い熱水を噴き上げるブラックスモーカーの発見と続く、独立行
政法人石油天然ガス・金属鉱物資源機構(以下、JOGMEC)が現在海底熱水鉱床の採掘試験を行っている沖縄トラフ伊是名海穴は正にこの海域で
ある。




 .日本の熱水鉱床とその開発


 世界第6位の広大な排他的経済水域(以下、EEZという)を持つ日本は、太平洋プレート終焉の地である。そのため、伊豆・小笠原海溝や日本
海溝等の海溝があり、海溝に沿って発達する火山フロントには多数の火山が存在する。また、沖縄トラフのような背弧海盆は新しく海底が生ま
れる場所である。このように日本のEEZは変化に飛んだ海域なのだ。




                      



  日本近海の熱水噴出域は、背弧海盆である沖縄トラフと伊豆・小笠原の火山フロントに沿って見つかっている。熱水噴出域では海底下から
金、銀、銅、レアメタル等の鉱物を溶かし込んだ熱水が海底面に吹き上がり、それが冷却され析出した鉱物が熱水鉱床を形成する。


                 



  今、この熱水鉱床など日本のEEZに眠る海底鉱物資源に大きな注目が集まっている。政府は経済産業省管轄のJOGMECを中心に、日本のEEZ
眠る鉱物資源量の把握とその採掘方法の開発に注力している。約30年前、しんかい2000が見つけた熱水噴出域は、当初の科学的調査から、
現在は資源探査に変わっている。

  資源量の把握は、まず熱水噴出域を見つけることから始まる。熱水噴出域は、これまでの科学的調査により特徴的な地形や熱水に含まれる
成分等多くのことが解っており、そのデータを基に調査(探査)を行う。海面の調査船による地形・地質等の広域調査、その特異点への自律型
無人探査機(Autonomous Underwater Vehicle)での精密な地形と化学センサーによる調査、更に絞り込まれた特異点への有人潜水船やケーブル
付無人探査機(Remotely Operated Vehicle)による目視調査、試料採取や計測機器の設置等を実施、最終的には掘削船や地殻構造探査船による
調査も必要である。

  採掘方法については、JOGMECが採掘試験を開始している。ブルドーザーのような無人機を海底に降ろし熱水鉱床を削り取る。ただし、海中は
陸上での採掘とは違い、環境に与える影響が大きくなることから、採掘前後の環境調査は必須である。


  近未来の陸上鉱物資源の枯渇は避けられない現実である。海洋の活用は、四方を海に囲まれた我が国にとって必須事項と考える。




 .現在の有人潜水船


 しんかい2000しんかい6500が誕生した1980年代、6,000m級有人潜水船の建造を競い合い、フランス、アメリカ、ロシアそして
日本が持つに至った。1990年代、これらは世界の深海で新しい発見を次々ともたらした。しかし1990年代末になると、無人探査機の
飛躍的な進化と厳しい予算事情から高額な有人潜水船は敬遠され、残念ながら新しい有人潜水船の建造は影を潜めてしまった。

  2010年代になると、世界の人口増加と各国の近代化に伴う資源の高騰と枯渇、また深海技術の進化から大深度有人潜水船の建造が相次い
でいる。ロシアのConsul(2011年)、中国の7,000m級潜水船Jealong(蛟竜)(2012年)の完成、またインド、ブラジル、韓国
も6,000m級有人潜水船の建造を計画している。これらは、しんかい6500等1980年代の潜水船とは違い、公海上での海底資源獲得の大
きな使命を持っている。



      





 .おわりに


 しんかい6500は完成からすでに25年を経過した。チタン合金製の耐圧殻を装備してはいるが何時までも使い続けることは不可能だ。
しんかい6500に代わる新しい大深度有人潜水船は、今その必要性の議論が文部科学省で始まっている。

  私は、しんかい6500に代わる次世代有人潜水船には、資源探査の為だけの潜水船にはなって欲しくない。地球最後のフロンティア深海
の謎を解き明かすという人類の探究心の為、次世代有人潜水船が世界の海で活躍することを切に願う。






 参考文献  ;Manned Submersibles by R. Frank Busby 1976
           Wikipedia

          JAMSTECホームページ

 引用図    JOGMECホームページ

              Wikipedia

          JAMSTECホームページ