Medical Information Network for Divers Education and Reserach
日本のダイビング教育の正当性を考える
田原 浩一 Explorer's Nest 代表
ダイビングが健全なレジャーであるための基本条件
最近、ナイトロックスやりブリーザー、サイドマウント、テクニカルダイビング等、ダイビングの可能性を広げる新しい
アイテム・ダイビングスタイルの話を耳にする機会が増ました。
高気圧安全衛生規則の近代化に合わせて、ダイビングの可能性、スタイルの選択肢の拡大が期待されています。
しかし、現状の日本のダイビング教育やシステムに可能性や選択肢の拡大への準備が整っているかは、疑問です。
表向きのカリキュラムの充実やレベルアップとは別次元のより根の深い問題が、そこにはあるよう思えます。
その点に関して、私は、ダイビングが健全なレジャーとして成立するための基本条件を、現状のダイビング教育やシステムが
満たしているか、という部分まで掘り下げる必要があると感じています。
現状のダイビング教育やシステムが健全なレジャーとして成立しきれていないのであれば、その部分を解決なしの可能性の
拡大はリスクの拡大に繋がってしまします。
では、ダイビングが健全なレジャーとして成立するための条件とは何か?
「リスクの提示・周知」 が、まずその基本ではないでしょうか。
ダイビングのフィールドが、器材の助けなしに生存不能な水中であり、完全管理が不可能な自然をベースとしている以上、
そこには多くのリスクが潜在するのは当然です。
器材のトラブル、ヒューマンエラー、自然環境の芳しくない方向への変化は、結果、ダイバーの生存の危機に直結する
可能性があります。
従って、ダイビングを安全と断言しアピールするのは、根本的な間違いです。
根本的な間違いがベースのダイビング教育は正しいとは言いにくく、その教育がベースとなっているダイビングは、当然ながら、
健全なレジャーとは言えないはずです。
さらに、教育や器材構成、ダイバーケアのシステムがカバーできるのは、ダイビング活動に潜在する危険度を小さくする
ことまでであり、危険度をゼロにすることは出来ません。
ダイビングが生存の危険を秘めたレジャーであることの周知と、それをレジャーとして許容できる範囲まで低めることが
ダイビング教育やシステムに可能なテーマである、ということは明記すべきでしょう。
従って、ダイビング講習には、不快であったり、精神的、肉体的に負荷を感じる要素が含まれていて当然です。
少なくとも、トラブル解決のトレーニングは、実際にトラブルが起きた時と同等のストレス下で行われなくては、実践での
有効性に疑問が残ります。
それを過剰なリスクなく、進行し、管理するのがインストラクターの仕事であるはずです。
そうした視点で見直すと、現状の日本のダイビング教育には、安全性や楽しさ、エコロジーとの接点等、耳障りのいい
アピールばかりを協調する、作為的な間違いを感じさせるアプローチが目に付きます。
負の部分を隠した、ダイビングは誰でも楽しむことの出来る簡単で安全なレジャーです、といった類のアピールは
「短期間」で「楽に」に「安く」終わらせることが出来る講習こそが、お得な講習であるという、現状の間違った認識を
生んだ要因です。
一方、日本のダイビング環境には、水中洞窟や沈没船への内部侵入とか、大深度の名所等、直感的に危険度の高さを感じ
させるジャンルのダイビングポイントがほとんどなく、ダイビングの目的も、生物観察や水中撮影等がメイン。
純粋に高いダイビングスキルが求められたり、リスク管理自体が大きなテーマになるようなダイビングがポピュラーで
ないことも、こうした状況の潜在的な原因となっているかもしれません。
しかし、一見平和なダイビングも、ひとつのトラブルが生存の危機に繋がる可能性を秘めているという点は、直感的に
危険を感じる類のダイビングと変わりません。
むしろ、危険を感じない、知らない状態で突然危険な状態に陥いる方が、総体的な危険度はより高くなりがちです。
また、例えば車であれば、ブレーキに複数の系統を備えるだけでなく、万一、衝突した際も、シートベルトやエアバッグ、ボディの
強度や構造によって乗員への衝撃を和らげる対策を取ることで、トラブルやアクシデントに対して、ユーザーに対応レベルの高さ
を求めない考え方が採用されていますが、
ダイビングはトラブルやアクシデントへの対応のレベルアップをお金で買うことが出来る車とは違い、対応のレベル
アップには、ダイバー本人の知識や技術、メンタル面のレベルアップが不可欠なのです。
スタイルとシステムの適合度、バディシステムの限界
一方、現状のダイビングのシステムやスタイルに関しても不安・疑問があります。
ダイビング活動におけるリスクマネージメントに必要なのは、あるダイビングを行う際に、そこに潜在する可能性のある
リスクを洗い出し、それに対しての解決策を用意することです。
可能性のあるリスクに対して解決策のない活動は、運任せ。生存の危機の可能性を秘めたレジャーが運任せでは、それを
健全なレジャーと呼べるはずがありません。
器材を例に取れば、水中で活動し、無事にダイビングを終了するために不可欠な器材は、本来、必ずバックアップが必要な
はずです。呼吸源以外にも、水深や時間のチェック、視界の確保等、トラブルが重大な危険に繋がる器材は複数です。しかし、
現状の標準的な器材構成には、オクトパス以外の明確なバックアップがありません。
当然ながらこの標準的な器材構成は様々な器材トラブルに対しての直接的な解決策を持ちません。そこで、採用されている
のがバディシステムです。
器材にトラブルが起きた際は、バディの器材をバックアップ器材として共用したり、互の技術的なサポートによって、トラブルや
アクシデントへの対応の可能性を拡大したバディシステムの採用で、始めてダイビングは運任せの無謀な遊びから健全な
レジャーのポジションを得るに至ったわけです。
しかし、であるなら、ダイビングを行う際は、常にバディシステムの正常な機能の確認と、システム機能の維持が不可欠な
はずです。
従って、互の機材に不備がないことや使用器材の正常作動の確認はもちろん、トラブルの際の手順や、コミュニケー
ションのために必要サイン、活動のベースである潜水計画等、本来確認すべき要素は多彩。それらに不明瞭な点が
あれば、まずそれをクリアにしてからでないと、健全なレジャーとしてのダイビングはスタートできません。
講習においても、バディにトラブルが起きた場合の具体的なトレーニングが、トラブルのバリエーションに応じて複数行われな
くてはならないはずです。
さらに、実際のダイビング中も、バディの位置を把握し続け、最低限、必要なコミュニケーションが瞬時に取れる状態
を常に維持していなければならないはずですし、エアシェアの可能性がある以上、互のエアの消費率を知りそれに合わ
せたガスマネージメントや残圧管理も必要になります。
それらが滞りなく行われていてはじめて、バディシステムは、本来の意味を持ちます。
が、実際のダイビングで、バディシステムは正常に機能しているでしょうか?
そもそもバディシステムを正しく理解しているダイバー、それを正しく理解し、伝えているインストラクターがどれくらい
いるのか。
さらに、現状のアクティブなダイバーの活動のメインテーマとなっているフィッシュウオッチングや水中撮影は、注意を集中
する対象が限られ、しかもほとんどの場合、そこにバディは含まれません。つまりダイビングのテーマ自体もバディシステム
にフィットしない方向にシフトしているのです。
結果、現状のダイビングは、運に頼る状況を容認した活動である場合が少なくないように思います。
実際のところは、機材の品質向上や、ガイドが個々のゲストの安全管理に神経を尖らせる体制によって事故が多発するような
状況には陥いていませんが、以降、ダイビングの可能性が拡大してゆけば、運に頼る部分が加速度的に大きくなってゆく気がし
てなりません。
少なくとも現状のレジャーダイビングにおけるバディシステムは机の上でのつじつま合わせに過ぎなくなっていると思われます。
マニュアルの充実が目指すモノは?
もう一つの不安要素、それは行き過ぎたインストラクター教育のマニュアル化です。
マニュアル化のメリットは、安定したレベルの製品の量産でしょう。
現在は、さほどのダイビング経験がなくてもダイビングインストラクターの資格を得ることが出来るプログラムを持つ指導団体が、
インストラクターを量産し続けています。指導団体の直接的な顧客は会費を収めてくれるリーダーシップですから、その数を増や
すことはビジネス的には正しい戦略でしょう。
が、ダイビングの健全性ということを考えた場合、過剰なインストラクターの量産に意味はあるのでしょうか?
インストラクターのステイタスはダイビング教育やグループコントロールという部分で意味を持つものであり、ダイビング教育の
一環に組み込んで、レベルアップのステップであるかのようなイメージでセールスされるものではないはずです。
また、効率的なインストラクターを量産には、ダイビングの「本質部分」や「ホワイ」に踏み込み、自身で考え工夫してダイビ
ング教育と正面切って取り組む人材を育てるような、時間のかかるスタイルは歓迎されないと思われます。
有効なのは、ファーストフードのように、素材や調理器具等を全て統一した規格で揃えたシステムに有効な「ハウツー」を重視
するスタイル、つまり、考えることより、覚えることを優先した教育です。
しかし、ダイビング教育の現場に、規格通りの講習生と規格に合わせた環境を揃えるのは不可能。
それは、臨機応変な対応やとっさの判断が求められる活動であり、そのためには、適応範囲の限られたハウツーでは
なく、根幹であるダイビングの本質に対する理解や経験、それらを活用した状況への対応を可能にする頭の回転、
イメージしたことを実践に活かせる体力等、マニュアルのトレースではカバーできない様々な要素が必要となるはずです。
過度のマニュアル化は、こうした本来のダイビング指導のあるべきスタイルのスポイルする要因を秘めているかもしれません。
今=ターニングポイント
こうした状況を改善してゆく方法はあるのか?
残念ながら、一撃で問題をクリアするような決定的な解決策は現れないように思います。
地道な意識改革やシステム改革等、複数の対策の積み重ねが必要だと思われます。
しかし、いずにしろ、一番の基本は、ダイバー個人個人の意識の持ち方、教育やケアに対する選択基準の見直しでは
ないでしょか。
例えば、講習受講の際は、ダイビングの本質の理解に勤め、自身のレベルアップを絶やさず、それらを自身の教育にフィード
バックしているインストラクターを探すこと。
そうした意味では、過剰なリスクを犯さず、スモールステップで着実に実力を付けていくタイプの継続教育が可能な
”レベルの高い”都市型ショップの活用も見直されるべきでしょう。
ネットによる価格比較ではない、より慎重な指導者選びは、現状の改善のための草の根運動となるはずです。
業界は、つじつま合わせのバディシステムに固執することなく、現状のダイバーの活動スタイルをカバー可能な
ダイビングスタイルを取り入れるべきだと思います。
バックアップ器材の充実、相当のスキルレベルの達成に注目したソロダイビングシステムの導入は、具体策として
有効でしょう。海外ではすでに採用されているシステムです。
一方、器材構成に関しても積極的な有効アイテム、スタイルを導入するべきだと思います。特にこれも海外ではリーズナブル
な価格で流通しているコンパクトな独立呼吸源、ポニーボトルは早急の導入が望まれます。
業界に、利権がらみの組織のコントロールに屈しない強さ、あるいはそのコントロールをすり抜ける”狡猾さ”を期待
します。
いずれにしろ、ダイビングの可能性や選択肢が広がる具体的な可能性が見えてきた今が、以降の日本のダイビング
のための変化のターニングポイントではないでしょうか。