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        減圧症発症の機序と予防   水に潜るリスクの本体


                               齋藤 繁   群馬大学大学院医学系研究科麻酔神経科学分野

                                        群馬大学医学部附属病院高気圧酸素治療室







  《要旨》  

    スキューバダイビングが一般にも広く知られるレジャーとなり、海中の映像も頻繁にテレビや映画 で映し出されるようになった昨今、
   人が水中に潜ることはそれほど特殊なことと感じられなくなりつ つある。

    しかし、もともと人は陸上で生活する動物であり、基本的に水中に長くは留まれない生物で あることになんら変化はない。
   当然、水中に一定以上の時間滞在することは構造上想定されておらず、 いかなる道具を使用したとしても、無理な環境での滞在が
   ある限度を超えると様々な異常が発生する。

    本稿では、日本が世界に誇る特殊部隊、忍者の水遁の術を例に、水中滞在の困難さと、それを解決し たスキューバダイビングの
   特性を考察したい。あわせて、一定時間以上高圧環境下に滞在した後の急 減圧で発生する減圧症の特徴と治療、予防について
   解説する。




  【本邦における潜水:「水遁の術」の限界】  

    日本の誇る特殊部隊、忍者軍団は戦国時代の 厳しい環境の中で生きるか死ぬかの正に体を 張った諜報活動を実践していた。
   忍者は映画や 漫画の中で神秘的な存在として、あるいは特殊 能力を持つスーパーヒーローとして紹介されて おり、その実態に興味
   を持つ人々は世界中に多 数存在する。

   しかし、隠密の掟により、その秘 技の多くは正確に伝えられることなく消滅して しまい、活動の実態を把握することは困難に なってい
   る。幸い、「萬川集海」、「正忍記」、「忍 秘伝」など幾つかの忍術書が伝承され、断片的 ではあるが忍者の用いた手法の概要が記さ
   れている 1-3)。そして、その中には医学的にも興味深い記載が見受けられる。  

    忍者の用いた潜入、逃亡法(遁術)に「水遁の術」があり、竹筒をくわえた忍者が水中に潜伏 したり、深い堀を潜水した状態で横断
   したりす るシーンを目にした人は多いだろう。しかし、竹筒を通した呼吸でどのくらい潜水できるのだ ろう。

   死腔が大きく効率的な呼吸が困難である ことは当然予想できる。また、大気圧環境と例 えば水深1mの水中を中空の管で繋げば、
   圧力 の高い水中から低い水面に向かって物質の移動 が起こることになる。

   パルスオキシメーターや 呼気終末二酸化炭素測定器を用いて筆者らが実験したところ、以下のことが確認できた。


    1) 浮かない状態で安定するためには何処かに つかまるか、ウェイトが必要。

    2) 竹の1節程度までは水中で呼吸を継続でき るが、それ以上潜水すると突然吸気が困難 となり、呼吸を継続するのは
       非常に困難と となる。原因は、
                          ① 水圧で胸郭を拡げるこ とが困難となる。
                          ② 筒と口唇のフィットが 完璧でないと水圧で筒脇から水が入る。
                          ③ 口腔スペースが圧力でなくなるため、僅か な水が口腔内に入っても直接気道へ吸い
                            込 まれる。
       緩徐に潜水しても動脈血酸素飽和 度が低下する前に浮上を余儀なくされる。

    3) シュノーケルクリアが可能なのは、ストレー トな円筒(竹の1節)に限られる。それ以上の長さになると、あるいは筒内部に突起
       な どがあると完全に水を吐き出して呼吸を安 全に開始することができない。

    4)シュノーケルクリアの水の噴出は目立つため、隠密行動では危険である。  


    上記のような事実は、「萬川集海」や「正忍記」 の現代語解説書を出版された中島篤巳氏(医師、剣術家)が「忍術秘伝の書」で
   予言されているが、各モニターを使用して検証することで実際に確 認出来る(4)。  

   「水遁の術」以外にも「無息忍(音を出さない呼 吸法)」、「二重息吹(長距離走のための呼吸法)」 など忍術書には呼吸に関する興味
   深い記述が見 受けられる。究極の諜報活動では呼吸の制御が必須であったためと考えられ、先人の深い洞察 と命をかけた経験則
   に敬意を払いたい 5-6)。  


    さて、現在では加圧空気等を充填したボンベや水面の加圧装置から加圧した空気を送り込む ことによって、水中に滞在する人間が
   わずかな 吸入のきっかけを作るだけで滞在場所と同じ気 圧で空気または酸素を適切な比率で含有する混合ガスを吸入することが
   できる。

    圧力差に伴う呼 吸の困難さは解決された。しかし、今度は酸素 とともに吸入するガスも高圧で吸入するため、減圧をうまく行わな
   いと体から排出前に溶解しきれなくなったガスが体内で気体となり、空気塞栓などによる障害を引き起こすことになった。

    関節液内の空気が激しい関節痛の原因となる大関節や、折れ曲りの多い細い血管から酸素や栄養を受けている脊髄が顕著な
   症状を呈する部位である。



   【減圧症

    1)発病機構と病型  

      潜水夫に起こるものは潜水病、高気圧下の作業者に起こるものを潜函病などと呼んでいたが、急激な環境圧の低下に伴う
     病態であることから、減圧症(decompression sickness)と総 称することに統一された。

     近年、レジャーダイ バーの増加により、減圧症罹患患者総数の1/3 以上がダイバーで占められている 7-8)。この対策として、
     空気・酸素混合気体(ナイトロック ス40:酸素濃度40%)を使用する潜水によって、減圧症を防止する試みも行われている。  

     臨床症状から、I 型、II 型に分けられる。過半数が

          I 型で、筋肉や関節に痛みを訴える運動 器型(bends)である。
         II 型には脊髄型、意識障 害を伴う脳型、めまいを主徴とする前庭型、呼 吸器症状を主徴とする呼吸器型(chokes)

     などがある。I 型と II 型の合併が 3 割前後に見られる。脊髄型は予後の悪い症例が多く、重症では 脊髄横断症状(四肢の
     完全麻痺)をきたす。好発部位はC4、T5、L1などである。

     N2の気泡 が大量に右室から肺動脈へ集積し、肺循環を阻害すると、前胸部痛、呼吸困難、時にはショッ クにまで進行する。


   2)治療法  

      いずれの病型でも発症からHBO治療開始までの時間をできうるかぎり短縮することが重要である。
     ただし、離島などの遠隔地で発生した場合、空路輸送時に気圧が低下したことで増悪する症例がある点に注意する。


   3)予防法  

      高圧環境での滞在は人には異常なことであり、そうした環境に生体をさらさないことが何よりの予防である。
     しかし、社会的事情で高圧環境にとどまる必要がある場合は、できるだけ圧力は低く、滞在は短くすることが望まれる。

     また、 減圧は基準に従って十分に時間をかけて行い、万が一緊急減圧となった場合は、症状の発生を予見して早め早めに
     治療につなげることが大切 である。わずかな症状の残存でも、無視して高圧環境暴露を繰り返すと骨壊死など遅発性の障害が
     発生することにも注意が必要である。




   【高気圧酸素治療の背景と方法:高気圧酸素治療 ( hyperbaric oxygen therapy : HBO therapy)】


   1. 再加圧治療から高気圧酸素治療への変遷 9)  

      トンネルや海底において高気圧環境下の作業 を行っていたヒトが、短時間のうちに大気圧下(海面)に戻ると、体内に溶存して
     いた大量 の窒素(N2)が気泡を形成し、血流を阻害して 種々の障害(減圧症)を引き起こすことは古く から知られていた。

     1890年、Hudsonトンネル (New York)の建設工事では、この病態に対して「再加圧治療」が試みられ、米国海軍は科学 的な
     再加圧治療法の基準テーブルを発表した。

     この治療法の基本は空気吸入下に6絶対気圧 (atmospheric pressure absolute : 1ATA=1kg/ cm2=760mmHg=10mの水中圧に
     ほぼ等しい。 6ATAとは大気圧に5ATAの圧が加えられた状態)前後まで加圧して、気泡を再溶解させた後、10数時間かけて
     ゆっくりと減圧する治療法 である。

     この再加圧療法では、加圧により気泡は一時的に消失する反面、再度窒素を体内に溶解・蓄積させることになり、減圧時に
     病状を悪化させることもあった。

     また、海底の工事現場や潜水漁法従事者においても、関節痛などの減 圧症の症状が出現した場合、「フカシ」と呼ばれ る再加圧
     を行い、病状を悪化させる症例も少な くなかった。  

     1939年、YarboroughとBehnkeは3ATA前後 の高圧下に酸素を吸入させると、減圧症の治療時間が短縮できると同時に、
     空気のみによる再加圧よりもよい成績が得られることを報告した。

     この研究にはじまり、米国海軍の治療方針も変 更された。一方、酸素加圧といっても、純酸素 で加圧すると爆発の危険性がある。
     空気により 加圧した装置内で、マスクを用いて純酸素を吸入すると、安全でかつ酸素加圧と同じ効果が得 られることが確認され、
     対象疾患も拡大された。


   2. 高気圧酸素治療の作用機序 10) a. 血液への酸素溶解量  

      健常人では、大気圧下(1ATA,760mmHg)で 純酸素を吸入すると、動脈血のヘモグロビン(Hb)はほぼ100%酸素と結合し、
     さらに高い圧で酸素を吸入してもHbに結合する酸素量はそ れ以上増加しない。

     一方、血漿に物理的に溶解する酸素量は圧に比例して増加する。溶存酸素量が生体の酸素需要に匹敵する値にまで増加すれば、
     Hbがなくても生存できる。

     これが高気 圧酸素治療の理論的根拠であり、血流障害に起因する皮膚潰瘍や移植組織も溶存酸素により好気的代謝を維持
     でき、再生能力(傷の修復)が 促進される。


   b. 治療装置の種類  

      HBO治療装置(hyperbaric oxygen chamber) は小型の一人用(第1種)と、多数の患者と医療職員を収容できる大型の
     第2種装置に分類される11)。

   (1)第1種装置  

      かつて純酸素で加圧する形式が多かった。し かし, 酸素による加圧は爆発の危険性があることから、空気加圧下に患者が
     マスクを用いて純 酸素を吸入する形式が望ましいとされた。

   (2)第2種装置  

      大型装置では、空気加圧下に酸素をマスクで吸入する。重症患者の治療には医師も装置内に入って治療にあたる。
     人工呼吸を必要とする症例では、ガスを動力源とするレスピレータを使用する。

     治療装置は主室と側室に分かれている形態 が望ましい。通常は主室のみを加圧する。治療の途中で医師が装置内に入る必要
     性が生じた場合、加圧していない側室に入り、その側室を主室 と同じ圧まで加圧すると主室に移動できる。

     採血 サンプルや薬品などはメディカルロック(medical lock)を通して加圧中に出し入れできる。



   c. 安全基準と加圧法


   (1)安全基準12)  

      装置の安全管理は、日本高気圧環境・潜水医学会が定める「高気圧酸素治療の安全基準」に従う。静電気が発生しないように
     患者の衣類(下着も)が純綿であることを確認する。また、保温用のカイロなどをふところに入れ、火災事故 を起こした事例もある
     ので、治療開始前の入念 なチェックが必要である。

   (2)治療圧  

      重症の減圧症、ガス壊疽などの重症救急適応疾患の初期治療は3ATA(2kg/cm2 の加圧)と する。ただし、3ATAでは
     酸素中毒(けいれん)を誘発する危険性があるため、数回の治療後は2.5ATA以下とする。慢性疾患では初期より2ATA とする。

   (3)二酸化炭素濃度の調節  

      装置内の二酸化炭素(CO2)分圧は 0.008kg/㎠(約0.8%)以下に規制されている。多数の患者を同時に治療する場合、
     装置の換気能力に応じた患者数に制限しないと装置内のCO2 濃度が上昇する。PaCO2の上昇はけいれんを誘発する。



   d. 副作用


   (1)酸素投与の限界  

      平圧下でも高濃度の酸素を長時間吸入すると 細胞障害が発生する。個体差が強いが、基本的 には
     酸素中毒(oxygen toxicity)の発生率は酸素 分圧と吸入時間の積に依存する。Lambertsen の報告 13)では、2ATAで9時間
     100%酸素を吸 入すると肺活量が10%減少した。臨床的には、安全治療限界は2ATAで2時間、2.5ATAで1時間、
     3ATAで30分とされる。3ATA以上で純酸 素を吸入すると短時問でけいれんが発生する。

   (2)酸素による肺障害  

      純酸素を長時間連続吸入すると、平圧下でも2日、2気圧以上の高圧下では数時間で肺のガ ス交換障害が生じる。この酸素に
     よる亜急性の肺障害はLorrain Smith効果と呼ばれる。

     初期は急性気管支炎の症状であり、胸痛、咳、肺コ ンプライアンスの低下などである。引き続いて肺水腫様の症状に進展する。  
     酸素による組織障害の原因として重視されているのが活性酸素である。

     高い酸素分圧による肺胞マクロファージの活性化が好中球の肺組織内への遊走を誘導し、活性酸素(Oxygen radicals)を放出
     する。正常状態においても白血球は活性酸素を産生し、殺菌作用を示すが、過剰に産生された活性酸素は組織を破壊する14)。
     正常状態では活性酸素の消去系(スーパーオキ シドジスムターゼ:superoxide dismutase、カ タラーゼ:catalase、
     グルタチオンペルオキシ ダーゼ:glutathione peroxidase)が速やかに活 性酸素を消去して細胞障害を防ぐ。

   (3)中枢神経障害  

      3ATA以上の高気圧下で純酸素を吸入すると1時間以内でけいれん発作が誘発される(Paul Bert効果)。

     Hbが酸素で飽和されていると毛 細管においてCO2とH+がHbに結合しにくい (ホールデン効果)。このため , 血液のCO2運搬能が
     低下し、組織のCO2 分圧が上昇してpH が低下する。これらの変化が中枢神経障害の原 因と考えられる。

   (4)圧障害(barotrauma)  

      体内の閉鎖腔と外気との通気が悪いと圧差に よる障害が生じる。耳管の通気が悪いと鼓膜裂傷や中耳、内耳の損傷を招く。
     意識のない患者では加圧前に鼓膜穿刺を行う。歯冠は圧差により痛みを生じる。肺にブラ(嚢胞)などがある場合には破裂する
     危険性がある。

   (5)その他の酸素治療の副作用

      ① 酸素毒性(oxygen toxicity)  

         長時間の高濃度酸素吸入は酸素中毒を誘発する。ただし、数時間吸入する程度では、未熟 児以外は肺の障害は起こら
        ない。未熟児では、 PaO2を100mmHg以上に上昇させると比較的 短時間で網膜の線維性増殖性変化(水晶体後方線維
        増殖症:retrolental fibroplasia)が起こる。 PaO2を60〜80mmHgに保つよう管理する。

        な お、未熟児網膜症の発生は吸気酸素濃度ではなく、PaO2で決まる。重症なガス交換障害で PaO2の低い症例には高濃度
        の酸素を投与して も本症は発生しない。

        ただし , 新生児の肺機能は急激に変化することから、経時的にSpO2ま たは経皮酸素分圧を測定して監視する。

      ② 高二酸化炭素血症(hypercapnia, hypercarbia)  

         酸素投与によりPaO2が上昇すると、呼吸中枢と化学受容体への低酸素刺激が減弱し、換気量が低下して
        CO2ナルコーシスが誘発される。

      ③吸収性無気肺(absorption atelectasis)  

         空気吸入時には、換気が減少して細気管支が一次的に閉塞した場合も肺胞内には窒素が残留 しており、肺胞は完全に
        虚脱しない。酸素濃度の高いガスを吸入している場合に換気が途絶え ると肺胞の酸素は吸収されて肺胞は完全に虚脱 し、
        吸収性無気肺(absorption atelectasis)が発 生しやすくなる。


     高気圧酸素治療は減圧症以外にも、一酸化炭 素中毒、ガス壊疽、空気塞栓(医療行為に伴う ものを含む)、腸閉塞、
    突発性難聴、末梢循環 障害などに広く使用されており、がん治療の効果増強や慢性期の膀胱出血や消化管粘膜障害な どにも
    適用されている11)。



   【参考文献

  1) 中島篤巳 「萬川集海」2015 年 国書刊行会 東京
  2) 中島篤巳 「正忍記」 1996 年 新人物往来社 東京
  3) The historical ninjutsu research team. Hattori Hanzo ユ s Ninpiden. Bloomington, Wordclay; 2011.
  4) 中島篤巳「忍術秘伝の書」 2008 年 角川学芸出版 東京
  5) 黒井宏光 「忍者図鑑」 2011 年 ベースボールマガジン社 東京
  6) 結城凛 「忍者 最強伝説」 2015 年 ダイアプレス 東京
  7) 中山晴美、他 : レジャーダイバーの減圧症罹患頻度について . 日本高気圧環境医学会誌 33:73,1998.
  8) 山見信夫、他 : DANホットラインの実情および潜水後の酸素利用.日本高気圧酸素学会誌 33:143,1998.
  9) Oriani G,etal: Handbook on hyperbaric medicine. Springer,1996.
  10) 日本高気圧環境・潜水医学会 : 高気圧酸素治療法入門 第 6 版 . 2017 年  一般社団法人 日本高気圧環境・潜水医学会 東京
  11) 瀧 健治 : 基本からよくわかる高気圧酸素治療 実践マニュアル . 2010 年 羊土社 東京
  12) 日本高気圧環境医学会編 : 高気圧酸素治療安全基準 . 日本高気圧環境医学会雑誌 37:83-105,2002.
  13) Lambertsen LJ: Effects of hyperoxia on organs and their tissues. In: Robin ED, editor, Extra pulmonary manifestations of
     pulmonary disease. New York, Marcel Dekker, 1978,p239.
  14) Heffner JE, Repine JE: Pulmonary strategies of antioxidant defense. Am Rev Respir Disl40:531,1989.