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論文 54
ダイビング事故の傾向とその原因について考える
野澤 徹 DAN ・ JAPAN トレーニング部
要約
潜水事故は、事故に占める死亡者・行方不明者の割合が非常に大きいことが特徴とされるが、海上保安庁の
発表からも分かるように、昨年(2012年)は残念なことに潜水事故が多発したことが知られている。特に注目
されるのは、中高年、それも男性の死者・行方不明者が多いことである。
潜水事故は、中高年ダイバーに限ったものではない。事故は、本人はもちろん、救助者をはじめ、ダイバー
仲間、関係者、家族を巻き込む悲しむべき大事件であり、全てのダイバーがその原因を考え、常に安全なダイビ
ングを実践することで防ぐ以外に対策はないだろう。
事故の傾向と死亡・行方不明の傾向では、内容に違いがあり、事故では、「気象・海象不注意」「技量未熟」
「エア確認不注意」が三大要因であり、死亡・行方不明では「エア確認不注意」についで、「技量未熟」と
「体調不注意」が同じくらい存在する。
また、近年の我が国の事故、死亡・不明では、「エア切れ」は減少傾向にある。「体調不良」が多いという
点は、中高年ダイバーの心臓血管系の問題を示唆するものといえる。
もうひとつ大きいのは、我が国のダイビング事故では、パニックに関連するものが多く、特に「海水誤飲」
からパニックに至った場合が目立っている。この割合は、事故および死亡・不明の事例を調べて見ると、30%
を越えていた。
マスククリアやレギュレータ・リカバリーといった水中技術はダイバーの基本技術であり、トレーニング不
足あるいは水中での精神的落ち着きの不足がうかがわれる。
さらに、「エア確認不足」をアメリカ合衆国との死亡事故と比較して見ると、我が国では、「エア確認不足」
を原因とする死亡・不明は全体の16%だが、USでは死亡の41%を「ガス切れ」が占めている。
この違いは、Cカード取得後、なおガイド等に引率されて行われる我が国のダイビングスタイルと、Cカード
を取ればバディ潜水が基本のアメリカとの文化的行動様式の違いから来ているとも思われる。
いずれにせよ、中高年ダイバーの健康問題と基礎技術の習熟の問題、さらに、ダイビング開始時に十分な精
神的・肉体的余裕を持つことが必要である。
1. 事故分析の基礎としてのダイバー数
我が国のダイバー人口の調査は、曾ては(社)海中開発技術協会(現・(社)レジャー・スポーツダイビング産
業協会)が継続的に行っていたが、現在では、各種の情報源を総合しなければならなくなった1)2)3)。そうし
た情報を総合すると、2011年現在でのダイバー数(Cカード発行数)は、170万人(枚)であり、毎年、
5〜6万人(枚)の新たなダイバーが生まれている。
この数字は、国内でのダイバー・トレーニング終了後の認定者数であるが、近年海外でCカードを取得する
ダイバーが増えていることを考えると、我が国には200〜250万のダイバー(Cカード保持者)がいること
になる(図1)。
図1 Cカード発行数の推移1)3)
((社)海中開発技術協会、(社)レジャー・スポーツダイビング産業協会、
Cカード協議会などの資料から作成)
ダイバーの人口構成は、調査の初期には、40歳以上はわずかであったが、近年では40歳以上が増加し、20%
以上を占めるようになってきている。最近の調査でも2)、はじめてダイビングをする「エントリーレベル」とい
われるダイバーに占める40歳以上の割合は、15%を越え、50代以上でも10%近くを占める程にまでなっ
てきていて、ダイビングが広い年齢層に愛好される活動になったことがわかる(図2)。
2007年 2008年
図2 Cカード発行の年齢別構成(エントリーレベル)
(経済産業省の調査による)2)
次に男女比を見てみると、1980年代末では男性70%、女性30%程度であったものが、近年では、男女はほぼ
半々になっている(図3)。
図3 Cカード発行の男女比の推移
(経済産業省の調査による)3)
実際のダイバーの年齢構成および男女比を、安良里ダイビングセンターでのデータでみると4)、40歳以上
のダイバーは、約30%であり、男女比もほぼ半々であることから、我が国のダイバー人口は、次第に高齢化し
ていることがわかる(図4、5)。
図4 実際のダイバー年齢別構成
(安良里ダイビングセンターの資料より)
図5 実際のダイバーの男女比
(安良里ダイビングセンターの資料より)4)
2. 我が国の事故の傾向
ダイビング事故は、ダイビングが高圧空気を水中で呼吸する活動であることから、一度事故が起こると重大
な結果になることが知られている。長期的なスパンで見ると、ダイビング事故および死亡・不明の数は、トレ
ンド線では微減といえるが、それでも事故の約半数は死亡・不明であることから、重大な結果を起こさないた
めには、事故の予防が最大の問題であることがわかる(図6)。
図6 事故と死亡の推移
事故者の年齢構成を、図7に示す。
図7 事故者の年齢構成の推移
経年の変化で見ても、40歳以上の中高年ダイバーの事故が次第に増加していることがわかる。また、
死亡・不明数の推移では、この傾向はさらに顕著なことがはっきりする(図8)。
図8 死亡者の年齢構成の推移
すでに、上記で指摘したように、実際にダイビングを続けているダイバーの人口構成が次第に高齢化してい
ることを考えても、事故者特に死亡・不明者に中高年が占める割合は極めて高いといわざるをえない。
また、事故および死亡・不明の傾向を男女別で見ると、事故では、1990年から2011年までの累計
で、67%が男性であり女性は33%であった。
この傾向は、年ごとの変動はあるが全体的に男性の事故が多く、経年による傾向を見ると女性の占める割合
がわずかずつではあるが増えているように思われる。女性ダイバーの増加を反映しているのかもしれまい。
一方、死亡事故では、経年の女性の増加傾向は見られないといってよく、さらに男性優位の傾向はさらに顕著
で、やはり、1990年から2011年までの累計で、男性は77%を占め、女性は23%に過ぎない。
以上のことから、ダイバーの事故は、事故、死亡・不明ともに中高年ダイバーが7割から8割を占め、また
、中でも男性ダイバーが多くを占めることがうかがわれる。
次に、事故の原因を見ていくことにする。事故原因の累計では(1989〜2003年)、曾ては、
「気象・海象の不注意」「技量未熟」「エア確認不足」が三大因子であり、死亡・不明原因(1989〜2003年)
の累計では、「エア確認不足」が最も多く(約16.8%)、「技量未熟」と「体調不注意」がほぼ同じ割合を占
めていた(15.4%)。
しかしながら、近年の累計と比較して見ると(2006〜2010年)、事故では、
「技量の未熟」「体調の不注意」「監視不十分」の順となっており、死亡・不明では、
「体調の不注意」が最も多く(21.1%)、次に「監視不十分」であり(12.1%)、「技量の未熟」と
「器具の不備、取り扱い不注意」が拮抗していて(共に、7.1%)、事故および死亡・不明の原因の傾向がやや
変わってきていることがうかがわれる。
事故、死亡・不明共に、「エア確認不注意」が減ってきていて、「技量未熟」や「体調の不注意」が増えて
きていることが見て取れる(図9)。
図9 死亡・不明の原因(2005〜2010年の累計)
DAN・USの最も新しい報告5)では、死亡事故の「エア不足」が41%と非常に高い割合を占めている。
我が国の「エア確認不注意」による、死亡・不明と比較すると、日本での近年の累計では、この数値は4%に
過ぎない。
これはおそらく、日本とアメリカ合衆国とのダイビングスタイルの違いによるものだと思われる。我が国の
ダイビングは、多くがインストラクターあるいはガイドが引率する(あるいは現地でガイドが案内する)とい
うスタイルが多くなっているのに比べて、合衆国では、Cカード取得者がバディ(2名以上のダイバーからなる
チーム)を作って各自の責任で潜るスタイルが基本である。
このため、我が国では、ガイドまたはインストラクターが適宜、ダイバー各員の空気残量を確認する行動を
とるが、合衆国では基本的にダイバー各自が自分の空気残量を常に確認しなければならない。
元々、ダイビングのCカードとは、「バディで、トレーニングを受けたのと同等かそれよりも穏やかな条件で
ダイビングが可能」であることを示すものである。
その意味では、合衆国のダイビングスタイルが本来なのであろうが、我が国では、社会・文化的な背景もあっ
てインストラクターあるいはガイドによる引率という形態になったものと考えることができるかもしれない。
もちろん、日本とアメリカ合衆国の死亡事故例に類似しているものもある。
それは、「体調の不注意」で、近年の累計を見ると、我が国の死亡・不明事例では、21.1%と曾ての数字
(15.4%)から増加していることがわかる。
合衆国の「死亡につながった傷害」に占める「心臓疾患」の割合が25%を越えることを考えると5)、中高年
ダイバーが、日本やアメリカをはじめ世界的に増加していることからも、中高年ダイバーの健康への注意喚起
がいかに重要かを示しているといえよう6)。
我が国もダイビング事故、死亡・不明事例でのもうひとつの特徴は、「技量未熟」である。DAN・JAPANが毎
年発行している「潜水事故の分析」には、末尾に「事故の概要」が記載されていて、どのような状況で事故が
起きたかを知ることができる。
分析した「事故の概要」は、2003年から2010年までで、年度によって年齢が未記載のものや経験年数が未記
載であるなどの違いがあるが、内容についてより詳しく知ることができる。データは全体で、283件あり、その
うち男性168件(59.4%)、女性105件(40.6%)である。事故例では、総数190件で男性94件(49.5%)、女性
96件(50.5%)であが、死亡・不明では、総数93件で男性74件(79.6%)、女性19件(20.4%)と男性が圧倒的
に多い。
また、事故の年齢区分(年齢が分かったもの)では、男性、80件、女性、81件のうち、
10代は、それぞれ、 男性2件(2.5%);女性2件(2.5%)であり、
以下それぞれ 20代では、 9件(11.3%)、 18件(22.6%)、
30代; 32件(40.0%)、 20件(24.7%)、
40代で 14件(17.5%)、 17件(21.0%)、
50代; 14件(17.5%)、 17件(21.0%)、
60代; 9件(11.3%)、 6件(7.4%)、
70代以上で 0件(0.0%)、 1件(1.2%)となっている。
傾向的には、男性は30代で多く、女性は、比較的正規分布に近い。
これに対して、死亡・不明事例のうち年齢が分かったものでは、男性68件、女性16件であり、その年代別の
割合をみると、
20代では、 男性 6件(8.8%)、女性 3件(18.8%)、
30代で 15件(22.0%)、 7件(43.8%)、
40代で 18件(26.5%)、 2件(12.5%)、
50代で 16件(23.5%)、 3件(18.8%)、
60代; 12件(17.6%)、 0件(0.0%)、
70代で 1件(1.5%)、 0件(0.0%)
となっていて、男性は40代を中心に正規分布に近い形であり、女性は数が少ないが、30代を中心するグラフを
描く。
こうした事例の検討で、特に目立つのがパニック、それも海水を誤飲することからくるパニックであった。
具体的に述べると事故事例の190件中65件、34.2%が海水誤飲によるパニックを疑われる事例であった。たと
えば、「マスクに水が入ってパニック」「レギュから海水誤飲でパニック」「BC操作練習中にレギュが外れて
海水誤飲でパニック」「水深13mでマスククリアできずパニック」「レギュレータが外れ海水誤飲でパニック」
などが原因である。また、死亡・不明では、93件中32件、34.4%がパニックを予想されるもので、原因として
あげられるものは、「水深30mでパニックに陥りレギュレータを外す」「マス溺水」「水深18mでマスクに水が
入り、パニックで海水誤飲し意識喪失」などである。
4. 検討
死亡・不明を含む事故の傾向から見えてくるのは、まず、中高年ダイバーの事故が極めて多いというこ
とであろう。これは、ダイバー人口に対する40歳以上の中高年の割合が、多く見積もっても3割程度で
あることを考えても問題である。
この原因で最も疑われるのは、中高年ダイバーの健康問題、特に心臓血管系の問題であろう。残念なが
らわが国では、死亡者の剖検は行われる例がほとんどないが、アメリカ合衆国での死亡事例からも、中高
年ダイバーの心臓血管系の問題が浮かび上がってくると思われる。
ダイビングの技能上の問題では、アメリカ画集国と日本の死亡原因は異なるように思われる。合衆国で
は、「エア切れ」による死亡例が多く、日本では、「パニック」が誘引になっている例が目立つからで
ある。
こうした原因として、すでに日本とアメリカのダイビングスタイルの違いとして指摘したが、それにも
う一つ、このダイビングスタイルに日本的なコミュニティのありかたが関係しているかもしれない。
具体的に述べると、アメリカでは、Cカードを取得したダイバーが、バディ単独でダイビング活動をす
るために、ダイビング自体に関しては「自分たちの能力・技術以上のことをしない」可能性が大きいの
でパニックになることは少ないが、空気残量の確認を忘れる(例えば写真や水中の景観などに夢中にな
って)ことは間々あると思われるのである。
これに対して、わが国のダイビングスタイルでは、ガイドまたはインストラクターが引率・エスコート
するために、ダイバーの残圧に関しては注意が行き届くが、引率されるダイバーはその集団に追随しな
ければならないために自分の能力・技術を落ち着いた状態で行使できない事態が考えられるのである。
さらに、中高年ダイバーが若年のダイバーと同じグループを形成した場合、自己の身体的能力や対応力
の低下に自覚していないダイバーや、身体能力や判断能力を日頃からトレーニングしていないダイバー
の場合には、参加集団の暗黙のプレッシャーによって、知らず知らずのうちに無理をすることになり、
パニックにつながるのではないかと思われる。
多くの場合、ガイドやインストラクターは、引率するダイバー集団の精神的落着きにも気を配っている
と思われるが、それでもこうしたパニックによる事故がかなりの数に上るのは、ダイビング技術に習熟
するためのトレーニングが足りないことのみならず、ダイビング開始時におけるダイバー集団の精神的
な落着き、安定度が不足していることも示唆するであろう。
また、中高年の事故の多さとトレーニング不足を示すデータもある(図10)7)。
年齢
70
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|
|
60
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☆★
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●★★
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★
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●●★★
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50
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○☆★★
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★☆
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★★
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●●★
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40
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☆
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☆★
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|
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30
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☆★★★★
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☆★
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●
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●★★★★★
|
★
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20
|
☆
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|
●★
|
|
●
|
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10
|
☆
|
☆★
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0〜1
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1〜3
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3〜5
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5〜10
|
10〜
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経験年
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図10 2009年の事故における、年齢と経験年数の分布7)
この図は、ダイバーの経験年数を横軸に、年齢を縦軸にとったものである。★と☆は事故を●と○は
死亡事例を示し、また白抜きはともにパニック関連を示す。図を見ると、事故、死亡・不明ともに、
中高年ダイバーに多いことがわかる。
また、パニック関連でみると、経験年数3年までの比較的初心者(短期に数多くのダイビングを経験し
技術・能力を向上させるダイバーも多いが)に多いことがわかろう。
4. 結論
これまでのダイビング事故を見ると、中高年ダイバーの事故が顕著になっている。この原因として、
中高年ダイバーの身体的な問題、特に心臓血管系の問題が注目される。中高年ダイバーに対して、特に
心臓血管系の健康を維持するような周知・普及が急務である。
また、わが国のダイビングでは、パニックによる事故が多くを占める。ダイバーは、年齢を問わず、
自らの水中での技術をトレーニングし、水中で安定して行動できる力を身につける必要がある。
また、インストラクターは、ダイバーのトレーニングにおいて、基礎的な技術・技能を徹底的に身に着
けるように指導する必要があり、ダイバーの引率に際しては、グループ全員が精神的にも肉体的にも落
ち着いてその能力を発揮できるような場をつくる努力をすべきである。
また、ダイバー自身も心身ともに安定した状態で水中に入ることができるように、自己の状態を自覚
し、コントロールできる能力を養わなければならない。
文献
1) 「レジャーダイビング産業の動向調査」報告書会)
(社)海中開発技術協会((社)レジャー・スポーツダイビング産業協(1987〜2005)
2) 「ダイビング産業の動向及び安全対策に関する調査」報告書。
平成21年3月、経済産業省、社団法人レジャー・スポーツダイビング産業協会
3) Cカード協議会ホームページ(http://www.c-card.org/)
4) 安良里ダイビングセンターのデータは、安良里ダイビングセンターを通じて、ボートダイビングを
したダイバーとガイドを申し込んだビーチダイビングのダイバーの記入した「健康チェック票」の
集計による。
5) Dan Orr,「Diver
Safety〜ダイバーはいかにしてトラブルに陥るか〜」
(財)日本海洋レジャー安全・振興協会、“Alert Diver”(DAN JAPAN会報)52号、平成25年3月1日。
6) 河合祥雄「海で死なないためのダイバー必修医学(循環器系)」
(財)日本海洋レジャー安全・振興協会、“Alert
Diver”DAN JAPAN会報)44号、平成22年5月20日。
7) 「潜水事故の分析」(財)日本海洋レジャー安全・振興協会(DAN JAPAN)、平成22年5月
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