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ダイバーが理解すべき重要な問題 呼吸器系の加齢変化とトレーニングの提案 藤本浩一 東京海洋大学 海洋生命科学部 海洋政策文化学科 【はじめに】 近年、特に中高齢ダイバーにおけるダイビング中の事故発生要因として、呼吸器系の機能低下が 疑われるケースが散見される。本稿では、呼吸器系が加齢に伴ってどのような変化を呈するのかに ついて、その傾向を確認するとともに、確認された傾向を踏まえて、呼吸器系における抗加齢の取り 組みについて提案したい。 【呼吸器系の加齢変化】 本件については、すでに多くのレビューもパブリッシュされていることから、呼吸器系における 抗加齢の取り組みを考えるうえで、確認すべき傾向について言及したい。 一般的に、呼吸器系の加齢変化は60歳頃から顕著となり、その特徴として、①胸郭の柔軟性低下、 ②横隔膜に代表される呼吸筋機能の低下、③肺自体の弾性収縮力の低下、および④肺胞におけるガス 交換能の低下などが挙げられる。 ① 胸郭の柔軟性の低下は、主に肋軟骨や脊柱(胸椎)靱帯における石灰化が要因となり、中高齢者に おいてはゴルフのスイングや咳嗽による肋骨骨折の1要因としてよく知られる。 ② 呼吸筋については、まず基本的な機能を見ると、安静状態における吸気には、主に横隔膜が用いら れる。一方で、呼気は特に筋活動を伴わず、伸展された肺のリコイル(弾性収縮力)によって行われ る。 また、運動時などの努力性呼吸時には、吸気時に胸鎖乳突筋、前斜角筋、中斜角筋、後斜角筋などが 用いられ、呼気時に内肋間筋、腹直筋、内腹斜筋、外腹斜筋、腹横筋などが用いられる。全身の骨格 筋に認められる加齢現象として、筋量や筋力の低下が挙げられるが、上記に挙げた呼吸筋にも同様に 筋量や筋力の低下が認められるものの、呼吸によって常時使用されていることから、他の骨格筋より も低下度は少ない1)。 このような呼吸筋の機能評価は、主に最大吸気口腔内圧(PImax)および最大呼気口腔内圧(PEmax) の指標を用いて検討されており、Chen and Kuo2)は、61~75歳のグループでは、ピーク時よりもPImaxが 約3割、PEmaxが1~2割低下することを報告している。 ③ 安静状態下の呼気時に重要となる肺の弾性収縮力は、肺の線維構造が進展されたときの弾性収縮力 と表面張力の2つの因子が力の発現に関係している1)。肺実質の弾性線維の含有率は、諸説があるも のの、加齢の影響を受けないことが報告されているが3)、線維自体に変性が生じることが知られて いる4)。 また、肺容量に対する肺胞表面積の減少が気相-液相境界面積を減少させることにより、加齢に伴っ て表面張力が減少することが報告されている1)。 ④ 肺胞におけるガス交換能の低下については、肺胞壁間の平均距離(mean linear intercepts : Lm)は増加 する一方で、肺容量に対する肺胞表面積は20~30歳をピークとして、およそ1年あたり4%減少す ること、さらに、膜の拡散能力低下と肺毛細血管血液量が減少することが、その低下の要因であると 考えられている1)。 【肺気量分画と安静時呼吸数の加齢変化】 前述のような呼吸器系の加齢変化を受け、Tobinらは5)、20~50歳と60~80歳の2群を比較し て肺気量分画の加齢変化を検討したところ、肺活量(VC)と一秒量(FEV1)は加齢に伴って 約3.5割減少することを報告している。 また、全肺気量(TLC)は、約1.5割減少することを報告しているが、他のレビューを見ると 変化なし、もしくは微減という傾向も存在する6)。さらに、顕著な加齢変化として挙げられるのが 残気量(RV)の増加であり、Janssensのレビュー6)によれば、30歳(1.7L)から70歳(2.5L)にかけて 約5割増加することが示されている。 一方で、安静時の1回換気量(TV)と呼吸数は加齢の影響を受けにくい5)。しかし近年では、 安静時呼吸数については増加傾向にあるものの個人差が大きいという報告もなされている7)。 【中高齢者の運動耐容能】 呼吸器系の加齢変化は、安静時においては大きな支障を来さないものの、運動時においては 影響が顕著となる。 運動耐容能について考えてみると、高齢者は低酸素、高二酸化炭素刺激に対する1回換気量の 増加度が低い8)。このため、少し運動しただけでも要求に見合う換気ができないため息があがる という現象は、定期的な運動習慣の無い中高齢者においては頻繁に生じる。 中高齢ダイバーにおいて、水中で高二酸化炭素血症および低酸素血症が発症することは、非常に リスクが高いと考えられるであろう。 また、肺胞換気量と肺循環血流量のアンバランスが亢進することによって、高齢者においては 動脈血酸素分圧(PaO2)の低下が認められる9)。一方で、動脈血のpHおよびPaCO2には、加齢に よる変化があまり認められない1)。 また、全身持久力の指標として用いられる最大酸素摂取量について言及すると、最大酸素摂取 量の規定因子として ①肺への空気(酸素)流入量、 ②肺胞毛細血管における酸素の血液への 拡散、③心臓(左心室)からの全身へ血液駆出、④筋肉における酸素の取り込み、 ⑤筋肉(ミトコンドリア)における酸素を利用したATP再合成、以上の5つが上げられる。 このうち、①と②は外呼吸に関係する因子であり、一般的に持久的トレーニングによって向上 することが知られている。高齢者に関するトレーナビリティについては、現在のところ不明な点が 多いものの、メンテナンス(低下抑制)効果については有るものと考えられる10)。 【息こらえ潜水競技者の肺の特性】 ダイバーの中でも息こらえ潜水競技を行っている者(フリーダイビング競技者:FD)は、 標準値と比較してTLCとVCが高く、RVが低い傾向を示す。 この傾向は、興味深いことに呼吸器系の加齢変化と逆傾向にある。Loringら11)は、世界トップ レベルのFD4名について、TLC、VCおよび RVの傾向を報告しているが、TLCについては身長、年齢、 性別から推定した値よりも、およそ10~20%ほど高い値を示し、RV/TLCについては、一般的な 値が30%であるところ、およそ16~20%を示した。 肺活量についても、4名のうち3名の男性競技者の値を見ると、いずれも7Lほどであった(身長は 178~193cm)。FDが有するこのような特徴は、呼吸器系のトレーニングによって獲得されたものと 推測されることから、FDが実施している呼吸器系のトレーニングを中高齢ダイバーに応用することに よって、ダイビング活動に適した肺機能が維持できる可能性が考えられる。 【息こらえ潜水競技者の呼吸法応用に関する例】 ①腹式呼吸をベースとして、例えば5秒吸気と5秒呼気のサイクルを約5分間実施、②腹部と 胸部に意識を置き、まず腹部を意識して呼気し、続いて胸部を意識して最後まで息を吐ききる、 腹部を意識して吸気し、続いて胸部を意識して最大まで吸気を行うことを、間隔を置いて数サイクル 実施する、というものが例として挙げられる。 但し、実施する際には決して無理せず、段階的に行うという点を事前に確認することが肝要である。 上記の①について、Ublosakka-Jonesら12)は、平均年齢67歳の男女に4秒吸気(25%最大吸気圧)と 6秒呼気のサイクルを1日に60回(約10分間)、8週間実施させたところ、肺活量、胸郭および 腹部の拡張性が有意に増加したことを報告している。 したがって、1回の呼吸が10秒程度のゆっくりとした呼吸は、加齢による肺活量の低下および 胸郭の柔軟性低下について、抑制効果が期待できるものと考えられる。また、上記の先行研究に おいては、単に深呼吸のみでも、胸郭および腹部の拡張性が有意に増加したが、変化量は “ゆっくり呼吸”より少なかったことが報告されており、ゆっくり呼吸の方が深呼吸よりも効果的で あったことが示されている。 近年、この“ゆっくり呼吸”によるQOL向上が着目されつつあり、1分間に10回以下の呼吸は、 副交感神経系優位の状態を導き、不安感や抑うつ感などを低下させること13)、一方で、精神的 ストレスが高いヒトは呼吸数が増加し、1回換気量が低下すること14)などが報告されている。 本稿の冒頭でも触れた、中高齢ダイバーにおけるダイビング中の事故発生要因として、呼吸器系 の機能低下ともに、例えば、ブランクダイバーや中高齢ダイバーで体調面に問題を抱えている方な どは、相応の不安感を持たれていることが推測されることから、この要因が呼吸機能を抑制して しまうことも考えられるであろう。 このようなことから、ダイビング前、ダイビング中を問わず“ゆっくり呼吸”によって、不安感、 ストレスを低減させることも、重要な取り組みのひとつとして挙げられる。ちなみにFDも潜水前は ヨガの呼吸法なども取り入れて、この“ゆっくり呼吸”を実践している。 ②に関して、我々は“腹式呼吸 or 胸式呼吸”と考えがちであるが、FDは“腹式呼吸 & 胸式呼吸” と捉え、例えば吸気の際、まず腹部に意識を集中して腹部に空気を流入させるイメージで吸気を 行い、続いて、胸郭を開くイメージで胸部に空気を流入させる。 さらにFDは、最後に肩をすくめるようにして、肺の上部まで空気を流入させるイメージで吸気 を完了する。このように、FDは、自身の吸気能力の最大限まで吸気し、潜水を行う。一方で、 呼吸器系の抗加齢の取り組みという観点から考えると、このような呼吸法は、呼吸筋、胸郭、 および肺自体に多くの機械的刺激を与えることから、現在のところ科学的エビデンスは乏しいものの、 FDが獲得している肺機能の特性から推察すると、呼吸機能の改善に寄与することが推測される。 また、FDは潜水能力を高めるため、いくつかの既存の理学療法をトレーニングに取り入れている (ex.耳抜きを容易にする目的で、嚥下障害に関する理学療法を取り入れるなど)。COPD患者の呼吸 困難感を低減させるための理学療法として、呼吸筋ストレッチ15)が考案されているが、このストレッ チをトレーニングに取り入れているFDも少なくない。呼吸筋ストレッチは、いくつかの種類が存在す るが、本稿ではこのうち2種類について、以下に紹介する。 〜呼吸に使う筋肉を柔らかくする「両手を上げる呼吸筋ストレッチ」〜 (1)頭の後ろで両手を組み、鼻から息をゆっくり吸う。 (2)口から息を吐き続けながら、腕を上に伸ばし、背伸びする。 この時、組んだ両方の手のひらは頭頂部の方に向ける。 横隔膜を引き上げる両脇の筋肉と腹筋を意識する。 (3)力を抜いて最初の姿勢に戻し、ひと呼吸する。 (1)両方の手の平を胸の上部で重ね、鼻から息を吸って口から吐く。 (2)鼻から息を吸いながら、腕を前に伸ばし、背中を丸めていく。肩甲骨が開くのを意識する。 (3)息を吸えるところまで吸い続ける。手は大きなボールを抱えるイメージ。 (4)息を吐きながら、(1)の姿勢に戻る。 【その他に提案される、呼吸器系における抗加齢の取り組み】 中高齢者におけるトレーナビリティは不明な点が多いものの、一般的に持久的トレーニングは肺胞 におけるガス交換能や肺活量を向上させる。中高齢者においては安全面も考慮し、できれば心予備力 の40~60%(低〜中強度)の負荷による持久的トレーニングが、適切であると考えられる。 心予備力とは、個人の最大心拍数から安静時心拍数を減じた値を100%とするものである。 個人の最大心拍数は、漸増負荷運動を用いて心拍数の増加がプラトーとなった値を用いるのが好ま しいが、中高齢者や持久的運動習慣に乏しい方は、便宜的に220から年齢(歳)を減じた値16)を 用いるのがよい。 例えば、60歳で安静時心拍数が70bpmの方の心予備力40~60%の値は、以下の式によって求められる。 ((220-60)-70)×0.4〜0.6 = 36〜54bpm 求めた36~54bpmに、持久的トレーニングを実施する際には安静時心拍数70bpmを加え、ターゲット 心拍数を106~124bpmに設定する。なお、1回あたりの運動時間は30分以上、頻度は週2回以上 実施することが推奨される17)。 また、別件ではあるが、上記のような持久的トレーニングは、認知機能の維持・向上にも貢献する ことを附記しておく18)。 運動を実施している際、自身の心拍数をモニタリングすることは、これまで一部のアスリートを 除いて容易に実施できなかった。しかし近年では、心拍計測機能付きのスマートウォッチも安価で入手 できるようになったことから、運動中の心拍数モニタリングは一般化し、比較的容易に行えるように なった。 また、数万円でGPS機能が付いたスマートウォッチも入手でき、ランニング中の平均速度など、 様々なデータのモニタリングやPCへデータを簡便にダウンロードすることも可能となった。 1回あたりの運動時間が30分以上、頻度は週2回以上の運動習慣を継続することは、個人によって は難しい場合も多々ある。これらの機器・機能を利用してトレーニング状況の可視化および管理を 行い、継続性・モチベーションの向上を図る工夫も必要であろう。 また、持久的トレーニングをダイバー対象として考えると、水泳やスキンダイビングも候補と なると考えられる。特にスキンダイビングについて、活動中の心拍数は、浸漬下運動中に心拍数の 計測を行わなければならないことから方法論的困難さもあり、これまで報告例が少ない。 筆者が30分間ほどのスキンダイビング中に計測したデータの1例を挙げると、活動中の平均心拍 数は88bpmであった。浸漬下においては潜水徐脈が生じることを勘案すると、およそ陸上運動では 100bpmに相当するものと考えられる19)。100bpmの運動は、筆者の場合、心予備力(最大心拍数 200bpm、安静時心拍数55bpm)の約30%の強度であるが、ブランクダイバーや中高齢ダイバーを対象 とした活動として捉えると、前述のとおり「水慣れ」、「スノーケルを用いたゆっくり呼吸」は 「不安感の低下」、 「呼吸機能の向上」というメリットがあるだろう。 都内近郊では、毎月のように深度5mのプールで、スキンダイビングの練習会がいくつか開催され ており、このような練習会に定期的に参加することも、呼吸器系における抗加齢の良い取り組みで あると考えられる。 【References】 |