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論文 12




 浮上後に異常を認めたら −減圧障害への初期対応のための基礎知識ー


                          池田 知純  
                           
                               防衛医科大学校防衛医学研究センター異常環境衛生研究部門






【 抄録 】



 潜水は水圧という圧力下の活動であることが多いために、水中から水面までの減圧の間に減圧に起因する障害、す
なわち減圧障害をダイバーは受けることがある。その主なものとして、高圧下で生体に取り込まれた窒素などの生理的
不活性ガスが減圧に伴って過飽和になり、生体に気泡が発生することによって生じる減圧症と、減圧のために気体容
積が膨張するために肺などの含気体腔が過膨張となって生じる空気塞栓症が挙げられ、それらに対しては、迅速な再
圧治療と応急的な酸素呼吸が有効である。

一方、潜水中ないし浮上後に異常を来すのは減圧障害によるもののみではなく、心筋梗塞等その他の疾病も多い、と
いうよりもむしろそちらの方が多数を占めているものと思われる。しかるに、これらの疾患については、減圧障害とは異
なり再圧治療は根本的には有効でない。

そこで、浮上後に異常を認めた場合に、ダイバーや救急隊員等、実際の現場に携わる機会の多い人がどのように判
断し対応すべきかをより合理的かつ体系的に見出す一助とすべく、医療ないし救急処置の側面からみた浮上後の異
常について、基礎的な事項に重点をおいて述べることにする。



以下、講演者(著者)承諾により 日本高気圧環境医学会関東地方会誌 2003 : vol. 2 : pp. 32-36 より抜粋








【 緒言 】

 浮上後ないし浮上中に異常を来す代表的な疾患として、いわゆる減圧障害 ( ここでは空気塞栓症と減圧症を指すこ
とにする) が挙げられるが、心筋梗塞のように減圧に直接は関係しないという意味で一般的な疾患も多く見られ、年輩
者など健康状態が必ずしも良好とは言えない人の間では一般の疾患の方がむしろ大多数を占めている。

  そこで、本稿においては、どのような点に着目して減圧障害に罹患したと判断すべきか、減圧障害などによって浮上
後に異常を認めたらどのように対処すべきか、等について指導的立場のダイバーが考える際に参考になると思われる
事項のうち、基礎的な側面に重点をおいて記すことにする。

 なお、紙面のスペース上、減圧障害全般について記述することは叶わなかったので、それについては別項、1)2) を
参照されたい。



【 減圧障害 】



[ 用語の背景と問題点 ]

 最初に減圧障害 ( decompression illness ) という新しい用語が出現した背景を記しておこう 3)

 その主な理由は、減圧に起因する代表的な疾患である空気塞栓症と減圧症を鑑別して診断することが必ずしも容易
ではなく、強いて鑑別しようとすると人為的になるおそれがあるので、両者をまとめて減圧障害として捉えようとしたとこ
ろにある。また、治療の面から見ても、再圧治療という基本的に同じ治療法が両者にとられるこがそのような取り組み
を可能にしている。

 しかしながら、空気塞栓症と減圧症は後述するように発症機序 ( メカニズム ) が完全に異なるために、その概念は
残しておいた方が有用であり望ましい。例えば、空気塞栓症に罹患したのであれば、そのダイバーがパニックに陥りや
すい傾向にあったり、呼吸法に問題があると考えられ、それに即した対応ないし指導を今後の潜水にとることができ
る。減圧症に罹患した、との情報のみからは、空気塞栓症か減圧症に罹患したのか判断できない。

 なお、減圧症は decompression sickness と言われるが、

減圧障害に用いられる illness と減圧症の sickness の間に英語上の差異はほとんどないので、 
decompression sickness と decompression illness を異なる病態ないし意味を表す用語として用いるの
は非常に人為的で不自然な用法だと筆者は考える。また、減圧障害には肺や副鼻腔などの圧外傷、さらには減圧に
伴うめまいなども含める考え方もあることを付記しておく。



[ 空気塞栓症 ]

 潜水における空気塞栓症は動脈ガス塞栓とも言われるが、レジャー潜水では塞栓の起因となる呼吸ガスがほとんど
の場合空気であるので、本稿では空気塞栓症と言う言葉を用いることにする。

 典型的な空気塞栓症はパニック等によって急速浮上したために、肺内から空気がスムースに呼出されず肺が過膨張
状態となり、行く場を失った空気が肺胞から肺毛細血管内へ進入し、それが脳に至って発症する、とされる4)。したがっ
て、肺過膨張症候群として知られる肺圧外傷の兆候や皮下気腫などの病変を合併することが多い。

 しかしながら、空気塞栓症全体でみると、肺過膨張に伴う明らかな病変を示さない病体も少なくなく、そのような例が
過半数に及ぶとする報告もある。また、パニックなどを起こさず正常な浮上後に空気塞栓症に罹患する例も多い。

 なお、過膨張による肺の障害を肺破裂と称することがよくあるが、破裂と言う言葉から想像しやすい肺胞が裂けるよ
うな障害よりも、肺胞から肺胞を取り囲む肺間質へ漏気して肺間質気腫を呈し、そこから肺過膨張症候群として知られ
る種々の病変を来すことが多い。また、気管支の損傷を示唆する症例もある5)。したがって、肺破裂よりも気道全般の
障害と言う意味で、肺圧障害の方が実態により相応しい呼称であろう。

 空気塞栓症によく見られる病像は浮上直後の意識障害ないし意識消失であるが、塞栓という血流を遮断して発症す
る機序から類推できるように、特定の臓器のみが冒されるわけではなく、非特異的な症状を呈する可能性もあることに
留意しておかなくてはならない。米海軍では減圧症に罹患する可能性の少ない潜水の後に生じた異常は空気塞栓症と
して取り扱う傾向にある。肺の過膨張に起因する皮下気腫などの病変があれば、空気塞栓症に罹患している可能性が
高くなる。高度の皮下気腫は気腫のために顔面が浮腫状になるが、皮下組織を空気が移動することによって生じるち
ょうど新雪を握ったときに手に感じる感触、すなわち握雪感を当該の部位を圧迫して得られれば、診断はより確実にな
る。軽微な例では、その部位に聴診器をあてて圧迫するとマジックテープを引き剥がすような音を聞き取ることができ
る。意識して診察すれば意外に多く認められる。空気塞栓症によく見られる特徴的な臨床象は病態が大きく変化するこ
とだ。意識が一時的に回復するなど病態が改善することも少なくない。これは、減圧症の病像が悪化するにせよ改善
するにせよ、比較的ゆっくりと一方向性に進むのと大きく異なる。しかし、症状が一過性によくなるために、空気塞栓症
の治療が却って遅れることがある。注意しておきたい。

 また、空気塞栓症の原因となる肺圧外傷は意外に浅い深度の潜水で発生し得ることも知っておいた方がよい。筆者
の経験では、水深 1.8m のプールで潜水中に明らかな縦隔と皮下の気腫を生じたことがある1) 。浅いからと言っ
て、決して油断出来ない。

 治療の基本は減圧症と同じく再圧治療である。補液など補助療法を含めた治療の詳細は別稿 1,6) を参照されたい。
酸素の使用については最後にまとめて記す。なお、以前に血中の気泡が頭に行かないように頭を下げる体位を推奨し
たこともあったが、小さな気泡が速い血流の中で重力の影響を受けて移動することは考えにくく、むしろ脳圧を亢進さ
せることにもなりかねず、推奨できない。普通の体位でよかろう。



[ 減圧症 ]

 周知のように、減圧症は潜水という高圧暴露下で過剰に溶け込んだ窒素など生理的不活性ガスが浮上に伴って過
飽和状態になったために気泡化し、その結果惹き起こされる疾病である。そして、気泡化はビールの栓を抜いた時の
反応と同じだ、と説明されることが多い。しかしながらこれはかなり乱暴な説明で、人の体で気泡が生じるのに要する過
飽和圧力が 0.5 気圧前後であるのに対し、純度の程度にもよるが純水中で気泡が発生するのに執拗な過飽和圧力
が数百気圧にも昇ることからも、その一端は容易に推し量られよう 2)

 また、気泡がどのようにして減圧症の発症に関与しているのか、についてもはっきりしたことは未だに解明されていな
い。そもそも、空気塞栓症と同じように気泡が毛細血管に詰まって症状を起こす例もないわけではないが、大多数のマ
イルドな減圧症は筋肉や関節部などの抹消組織において発症しており、血流中で検知される気泡は疾病の原因という
よりもむしろ随伴して出現している現象に過ぎないことが多い。サイレントバブルという言葉で知られているように、気泡
が出現したからといって減圧症に罹患するものではなく、また逆に減圧症の症状を呈しながら気泡を認めない例がある
ことも、これから理解できるであろう。さらに、気泡化には過飽和圧力のみでなく生体のさまざまな因子が関与している
と思われ、個人差はもとより、同じ人でも条件によって気泡の出現に差が生じる。また、気泡が出現したとしてもそこか
ら減圧症の発症の間にも様々な要因が絡んでいる。要するに、圧暴露 ( 潜水プロフィール ) 、過飽和の程度、気泡の
出現、減圧症の発症の四者を一つの数学的な関係として把握することは容易ではないのである。逆に言えば、この困
難さが認識されてきたのが最近の傾向と言える 2,7) 。

 このようなところから、減圧症の本質から見れば当然すぎる事に過ぎないかもしれないが、現在では減圧症の発症を
あらためて確立の問題として捉えるようになってきている。現に、 7 人のグループで減圧コンピュータの許容範囲内で
潜ったにも拘らず、一人だけ重症型のチョークスといわれる肺減圧症に罹患した例もある。充分注意しておきたい。

 次に減圧症の臨床像について簡単にコメントしておく。わが国では減圧症を四肢の痛みや発赤あるいは痒みなどを
訴える軽症の T 型とそれ以外の U 型に分類することが大勢を占めているが、現在ではこの分類は国際的には米海
軍などで使われているだけで、欧州などではそれに捉われず臨床像に主眼をおいた分類法を採用している 3) 。その
主な理由は、 T 型と U 型に明快に分類できない症例が多いことによる。もっとも、それに対する批判的な意見も発
表されており、公衆の方法の方が合理的だと判断するものではないが、海外リゾートなどでまごつかないためにこのこ
とを知っておいてもよいだろう。

 診断についてみれば、臨床像からのみ減圧症を診断することは容易ではない。と言うのは、減圧症の本態は全身ど
こにでも発生し得る気泡が関与するものであるために一つの症候群と言ってもよく、意外に変異に富む病像を呈する
からである。そのようなことから、的確な診断を下すのに重要な役割を果たすのは、今なおある意味で単純な浮上から
発症までの時間である。ごく大雑把な数字として米海軍潜水教範に記されている値が有用である。具体的に記すと、
30 分以内に発症する例が 50 %、 60 分以内が 85 %、 3 時間以内が 95 %、 6 時間異常経過して発症するの
が 1 %と言う数字が挙げられている。もっとも、この値は潜水プロファイルや減圧負荷によって異なってくる。総じて減
圧負荷が大きい場合、言い換えれば規定の減圧表に示す限界を超えていわゆる無謀な潜水を行った場合には発症ま
での時間が短くなる。また、発症までのj間が長い例は飽和潜水など長時間に及ぶ潜水のあとによく見られる。レジャー
潜水では発症時間に影響を及ぼすほど長時間にわたって潜ることはほとんど考えられないが、潜水後の飛行機による
低圧暴露は、大気圧状態で飽和した状態から減圧されたと考えてもよいので飽和潜水における発症と同じことになる。

低圧暴露による減圧症では時間がかなり経過した後に発症する例が多いのは、このことによって説明できる。このよう
に浮上から発症までの時間は診断の上からは重要な情報であるが、意識して問いかけないと欠落することが意外に多
い。

 治療の基本は空気塞栓症と同じく再圧治療であるが、その詳細は別稿 1,6 ) を参照されたい。酸素の使用について
は最後にまとめて記す。



[ その他の疾患 ]

 浮上後に異常を呈する疾患として無視できないのが、循環器疾患をはじめとする一般疾患であ。特に年輩や循環器
疾患の既往を有する人間の間では大きな問題となっている 8) 。個別の疾患や病像としては、心筋梗塞、不整脈、
脳血管障害、低血糖などが挙げられる。しかしながら、器具がほとんど備わっていない潜水の現場でこれらの疾病を
診断するのは医療関係者でも容易ではないので、ここでは個別の病態については触れないでおく。

 ただし、浮上後の対応については減圧障害に対するのと共通点があるので、次を参考にされたい。



[ 異常を認めた際の対応 − 主に酸素の呼吸について ]

 浮上後に異常を来した場合、もし蘇生が必要であれば減圧障害であろうとなかろうとまず蘇生術を実施しなければな
らない。そして、当該のダイバー ( 患者 ) を適切な医療施設まで搬送する。症状が重篤でない場合も、海水を誤飲し
たりしている可能性があるので、医療機関を受診した方が賢明であろう。注意しておきたいのは、異常が減圧障害によ
って生じているにも拘わらず、溺水など他の一般的な疾病によって隠されている可能性があることだ。減圧障害には再
圧治療が著効する、逆に言えば他の治療法は効果がないので、その場合はためらわず再圧治療が可能な病院で治
療を受けるべきである。

 しかしながら、これは医療サイドの課題であって、現場のダイバー等にとってより切実な問題は別のところにある。と
いうのは、潜水は医療施設から遠く離れたところで実施されることが多く、どうしても現場での救急が重要になってくる
からである。その中で大きな問題とすべきは酸素投与ないし酸素呼吸である。より具体的には、酸素を呼吸することは
一般的な救急効果に加えて、減圧障害の軽減にも大きな効果がある。より具体的には、酸素を呼吸することによって、
生体内外の窒素分圧の差が大きくなり、生体からの窒素の排出が促進されるとともに、気泡も速やかに消失すること
になる ( その詳細は別稿 1) を参照されたい )。 したがって、減圧障害を発症した現場で直ちに酸素を呼吸するこ
とには救命も含めた大きな意義がある。

 ところが、わが国では酸素は医療品とみなされ、厳密には医師のみ或いは医師の監督下でのみしか酸素を
使用できないことになっている 9) 。そうすると沖合いで減圧障害に罹患し現場で迅速に酸素を投与すると、救
急救命効果が明らかであるにも拘らず違法行為とみなされてしまう。そのようなところからか、 DAN Japan
で実施されているダイバーのための酸素講習では、本人が酸素を呼吸するのを承諾した場合のみ酸素を呼吸
させる、という前提条件での講習となっている ( 米国ではこのような条件はない 8) ) 。このことはもっと露骨に
言えば、生命の危機が差し迫っていない意識の清明なダイバーは酸素を呼吸することが出来ても、生命の危機
に瀕している意識のないダイバーは酸素を呼吸できない、ということを意味するわけで、品の悪いブラックジョー
クとしか言いようがない。

 もちろん、酸素は万能と言うわけではなく、酸素を呼吸することによって悪化するパラコート中毒や炭酸ガスナ
ルコーシスなどの疾患も存在するが、それらは潜水現場で見られる疾患ではない。また、潜水現場で発症する
ことの比較的多い過呼吸症候群にはたしかに酸素を投与することは望ましくないが、たとえ投与してもそれが
致命的になるわけではない。さらに心筋梗塞などの一般的な疾患から見ても、酸素は益こそなれ、害になること
はない。つまり、浮上後に見られる異常に対して一律に酸素を使用しても、法律上の制約を除けば問題はな
い。他方、眼を海外に転ずれば、潜水事故に対する救急セットとして酸素が組み込まれたシステムが採用され
ており 8) 、さらには、治療どころか減圧症を予防するために、 3m 以浅の浅深度での酸素呼吸をルーチンと
して ( 常態として ) 行っている例さえある。したがって、今後はより合理的に柔軟にそして正しく酸素を使用で
きるように潜水界全体として強く働きかけて行くべきであろう 9) 。



[ 結語 ]

 浮上後に減圧障害などによって異常を認めた場合に、どのように対応すべきかの参考になると思われる事項の一部
を基礎的側面に重点をおいて述べた。酸素の使用については、より常態的合理的な使用が法的にもなるよう、そ
の意義を強調した。



[ 参考文献 ]

1) 池田知純 : 潜水医学入門 ー安全に潜るために.  東京 ; 大修館書店. 1995,

2) 池田知純 : 減圧をめぐる諸問題.  防衛医科大学校雑誌.  23:149−62,1998

3) Francis, T.J.R. and Smith, D.J. ( eds ) : Describing Decompression Illness. Bethesda MD;
    Undersea & Hyperbarick Medical Society; 1991.

4) Pearson RR : Diagnosis and treatment of gas embolism.In:Shilling CW,Carlston CB,Mathias
   RA ( eds ).Physician's Guide to Diving Medicine.New York ; Plenum Press,pp.333-367,1984

5) 二階堂洋史,三須恭典,杉山弘行 : 気圧外傷により縦隔気腫となった一例.
   日本高気圧環境医学会地方会誌. Vol.1,No.1.36-38,2002.

6) 堂本栄治,鈴木信也,和田孝次郎,赤城淳,北村勉 : 減圧障害 ( 減圧症と動脈ガス塞栓症 ) に
   対する再圧治療マニュアルの試み.    日本高気圧環境医学会雑誌. 36:1-17,2001

7) 池田知純 : 減圧概論. In: 高気圧酸素治療法入門ー第 3 版. 
   日本高気圧環境医学会. pp.57-60,2002.

8) Report on Decompression Illnes and Diving Ftalities. DAN's Annual Review of Recreational
   Scuba Diving Injuries and Deaths Based on 1998 Data. NC;Divers Alert Network.2000.

9) 池田知純  :  潜水の世界 −人はどこまで潜れるか.  東京 ; 大修館書店,2002.






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