Medical Information Network for Divers Education and Research 安全潜水の為の自己教育
「 安全潜水のためになすべき事 」 -- 個人としての継続教育のありようや方法論 --
慶松 亮二 NAUI インストラクター・有限会社 ケイ・ディ・エス
前文
どんなダイビングの雑誌にも書籍にも「安全」という言葉が出てきます。そして潜水事故を撲滅する為である筈の
「潜水講習」があり、「講習を受けなければ潜る事が出来ない」と言う事が世の中のコンセンサスとして定着してすでに
長い時が経過しました。
また毎年毎年、安全性を増した筈の機材がカタログを賑わせ、講習の勧誘は巷に溢れています。
そして事故は今日も起こり続けているのです。何故でしょうか?
本稿はこの答えを模索し「安全潜水」に近づく為の手段を提案しようと言う試みです。
安全って何だ?
安全と言う事が叫ばれながら事故が絶えない、とすれば今までの安全対策又は行動基準そのものに何か欠点か不
足があったと解釈するべきでしょう。例えば、
1. ベテランと言われるダイバー、上手と言われるダイバーも事故を起こす。
2. ベテランや指導員が引率していても事故が起こる。
3. 機材の故障が無くエアーもあるのに事故は起きる。
4. 体力技術に係わらず事故が起こる。
5. 最新のコンプーターを使い無減圧限界内で安全停止をしても事故が起こる。
6. バディイ潜水を守っていても事故は起こる。
経験を積んで技術を磨き、最新の機材を使っても、バディ、ガイド、インストラクターが一緒でも事故が起こるのでは一
体何を安全のための基準と考えればいいのでしょう。
そこで「能力範囲」と言う概念とその判断基準を整理して提唱します。ダイビングのような自然の中で他の手助けが期
待できない状況での安全確保のためには
1. 自分で自分を守る他に方法が無い
2. ダイビングは機材に頼って身体能力の及ばない世界で行う活動である。
3. 常に状況に注意して判断し、判断に基づいて行動しなければならない。
4. 弱者がいることを認識し、その能力限界をグループの能力限界としなければならない。
と言うことを認識した上で、起こりうるどんなことが起こっても必ず生きて帰れる位置と時間の境界線を「判断」し、「越え
ない」事が重要と思うからです。
「能力範囲」ってなに?
能力範囲とは自分がどんな状況に遭遇しても必ず生きて帰ってこられる範囲を言います。生きて帰れば怪我や漂流
は事故じゃないのか、と言う反論を招くかもしれません。しかしそれは違います。
「能力範囲」を判断し事故の可能性を具体的に認識していく過程で、起こりうる事故の芽を摘んでこうと言うわけです。
そうして事故の発生そのものを押さえ込むわけですが、「事故は必ず起こる!」と言う認識に立脚して、起こらないは
ずの万一が起こっても帰ることが出来る「水深」「時間」「距離」の範囲を逸脱しないことが大切だと言う意味なのです。
そしてこの「水深」「時間」「距離」の示す範囲に「生存能力範囲」、略して「能力範囲」と言う名称をつけ、名前をつける
ことによって認識しやすくしたわけです。
「能力範囲」の判断?
では具体的に「能力範囲」はどうやって判断したらいいでしょう。2つの項目について判断します。
基準項目
最初の1つは基準項目です。
基準項目とは個人個人の基本的能力ですぐには変化せず、努力や積み重ねによって徐々に向上したり、加齢など
で低下する要素です。
個人としてのダイバーが自己教育として安全のためになすべきことの大半はこの項目の中に含まれるでしょう。
それは「知識」「技術」「体力」「経験」「適性」です。
これら5つの項目のレベルはすぐには変化しないので、これらの項目を吟味して得られる範囲が個人個人の「最大
能力範囲」と言えるでしょう。そしてこの範囲が変化項目によって縮小しその時々の「能力範囲」となります。
* 知識
知識には潜水に関連する広範囲な知識とこれを応用する更に広範囲な教養を含みます。
知識の量と質は経験したことを正しく認識し知恵とするための基礎です。
・ 安全知識生理学 ・生理学 ・機材知識 自然科学(海洋:生物:気象等)
・ 救急法 ・リーダーシップ ・その他関連項目
* 技術
一般的潜水技術がストレス無くいつでも出来るレベルが最低基準となります。
その他、海洋で役に立つ色々な技術の取得とそのレベルによって判断します。
・ 水泳(体力を使わずに泳ぐ又は浮いている) ・Skin Diving 技術
・ SCUBA Diving 技術 ・ナビゲーション ・その他の海洋関連技術
* 体力
体力の強弱はあって当たり前です。だからこそ体力のある者のペースで活動することを厳しく戒め、弱い者の
「能力範囲」にとどまるべきなのです。
・ 換気能力
・ 筋力
・ 持続力
・ 瞬発力
・ 等特殊環境下における生体維持能力と肉体的処理能力
* 経験
ダイビングに限らず講習を受けただけでは決して一人前にはなれない理由です。安全に経験を積み能力を向上さ
せるには、常に「能力範囲」の中で少しづつ経験を積んで行く他に方法はありません。
又あらゆる経験は正しい知識の裏づけがあって初めて正しい理解と効率の良い進歩につながることが可能になり
ます。
* 適性
楽しく安全に水中で活動するには明らかに肉体的、精神的適性が必要です。
肉体的適性 ダイビングは特殊な負荷を持つと同時に、時として肉体的に相当激しい運動となる事がありますの
で他の同程度のスポーツを行うのに構造的、生理学的困難を伴う場合は特別な訓練と経験を積ん
で、医師の同意得るまでは潜水不適です。又潜水には特殊な医学的禁忌がありますので、潜水を
始めるときは勿論、少なくとも年1回の定期的健康診断で健康の確認をすることが「能力範囲」確
認に必要です。
精神的適性 精神的、又心理的適性については、自分の傾向を正しく理解して理性的に対処するよう。努力する
ことでほとんどの場合解決できます。例えばあわてる傾向がある人がいきなり「能力範囲」を広くす
ることは大変危険と言わざるを得ません。日常の生活の中でこのような傾向を把握し抑える努力を
するとともに、潜水の場では明るく浅い海域を「能力範囲」として充分な経験を積み、自信とパニッ
ク処理の能力を高めながら「能力範囲」を徐々に広げていくべきでしょう。
変化項目 変化項目は「機材」「環境」「体調」「バディ」「救助能力」です。
* 機材
ダイビングに限らず機材を使用する全ての活動は、機材の構造的能力、材質的能力、使いやすさ等の機材として
の能力の他、使う側の習熟度、応用力、フィッティング等、人間側の要素による制約を免れることが出来ません。し
かも潜水で用いる基本的機材は「眼」「足」「外呼吸器」「皮膚」「その他の保護具」として「能力範囲」に直接的に係
わる物ばかりです。また補助機材にも安全上重要なものがたくさんあり「能力範囲」に影響を与えます。これらの機
材の習熟度、フィッティング、調整、管理など機材が変われば当然「能力範囲」が変化します。
* 環境
環境も日々のみならず、潜水中にも時々刻々と変化し、それに連れて「能力範囲」が変化します。
* 体調
体調も潜水前と潜水中、次回の潜水時とでは全く変わってしまうことさえあります。特に潜水に於いては「風邪」
「飲酒」「薬品」「寝不足」「冷え」「水分喪失」等が大きな影響を与えるものとして有名です。
* バディ
バディのダイバーとしての能力がバディとしての「能力範囲」を変化させます。またバディの「能力範囲」は当然異な
るわけですから常に「能力範囲」が狭いダイバーに合わせることが当然であり重要です。最も効率の良いバディが
中級以上の同レベルのダイバー同士によるものであると言うのはこれが理由です。
* 救助能力
救助能力の基本はその日、その時、その海況でどのぐらいの距離ならバディを曳航して陸間で帰ってこられるか。
と言う事です。そして他のどの項目が広い能力範囲を示していても、この救助能力の範囲が「最大能力範囲」です。
理解して守ると言うこと
「能力範囲」と言う概念を理解して、その日その日の安全な範囲として「能力範囲を」判定したら、次に絶対の決意を
持ってこの範囲を逸脱しないことです。
なぜなら「万が一」と言うのは起こらないだろう事が起こることを言うからです。
だから何があっても絶対に生きて帰れる範囲に留まらなければならないのです。
また潜水中に於いても変化項目は時々刻々と変化します。潜水計画は柔軟性に富んでいなければなりません。変化
に対応し、安全な範囲が縮小するのに合わせてエキジットポイントに近寄るようなプランに変化しなければなりません。
進化すると言うこと
危険予知能力の向上
「能力範囲」を判定すると言うことは、言い方を変えれば起こりうる事態を想定すると言う事でもあります。
ここで大変重要なことは、経験し、記録し、フィードバックすると言うことです。潜水前に起こりうる危険要素(どんな
に小さくたわいない事と思えても)を考え付く限り考え出します。
そしてその一つづつに解決策があることを確認し、解決できないことがあれば解決の方法を手に入れてから潜水
します。プールでトレーニングする、必要な機材を用意する、ガイドやインストラクターに(解決策入手の)援助を求め
るなどの方法です。
そうして準備している内に考えついたトラブルに対する解決策が身に付くと同時に、トラブルそのものを回避できる
ようになってくるのです。又解決に至らない時は、それでも帰る事が出来る「能力範囲」に止まるべきです。例えば、
浅い水深や入り江の中、時にはタイドプールに限定する等と計画を変更するわけです。
フィードバック
浮上後に行うディブリーフィングでは重要なのは、潜水中に発生しかけた又は感じたヒヤリハットの洗い出しと記
録です。
ほとんどの場合、楽しかったこと、見た魚、景観、透視度などに終始して又来たいねー!で終わっているのではな
いでしょうか。
よくログブックを見ると、水深、時間、などの減圧情報の他に気温、水温、機材、透視、波浪、流れなどの情報を
書く部分がありますが、これこそヒヤリハット記録と合わせて次回の潜水時に起こりうる出来事をフィードバックさせ
る為の基礎データーなのです。基礎データーを書き込み、水中でのヒヤリハットを書き込むことで次回の「能力範
囲」判の準備になるのです。
この積み重ねがログの存在意義であるといえましょう。
危険予知シート
潜水前の準備として危険予知シートを作りましょう。
潜水時の条件(水温、波浪、流れ、透視、スタイル、地形、使用機材、バディ)を記録しその条件下で起こり得る事
(トラブルの芽)をどんなに些細なことも全て書き出します。そして潜水準備から潜水終了までの間に、シートにかか
れたことが起こったり、起こりかけたりしたら全てにチェックをつけていきます。
このシートの特徴は、最初は少ししか思いつかない予知項目が回を重ねる毎に増えていくところにあります。
それと平衡して最初はたくさん付いたチェックマークが少しづつ減って行きます。予知と予防が結びつき始めるの
です。
このチェックがついた項目は一見大した問題ではないように思えるかもしれません。
例えば砂地に下りて砂を舞い上げてしまう。と言うチェック項目にマークがついても、その事が直接事故に結びつく
とは考えにくいからです。
しかし、300回の些細な出来事は1回の小事故を内包し,300回の小事故は1回の事故を内包する。と言うこと
はあらゆる事故に共通の統計的常識として知られています。ダイビングも一人このような統計結果から逃れること
は出来ないと考えられますから、この些細な出来事を無くさなければならないのです。
300回の300回倍は90,000回です。もし平均的ダイバーの1ダイブ当りのヒヤリハットが5項目になったとしたら
(実際やってみるともう少し多くなりますが)18,000回の潜水に1回の事故と言うことになるわけです。
18,000回も潜水しないから、などと言ってはいけません。1日2回のダイビングが標準的なスタイルと考えれ
ば、9,000日のダイビング、又は9,000人がダイビングをすればその内60人前後がガンガゼに刺されたり、カメ
ラを落としたり、爪を剥がしたり、瘤を作ったりと言う小さな事故にあっているのです。
そしてそのうちの一人は溺れたり、減圧症になったり、大きな怪我をしたりと言ういわゆる事故に遭遇し、最悪の
場合貴重な人命が失われてしまうのです。"オンシーズンの日曜日、あなたはこの9,000人の1人にならないと言い
切れますか?"こう言うわけで全ての人のヒヤリハットを減少させることが大切なのです。
纏めと提言
起こるべくして起こってしまう「万が一」にも大切な命を守る為に「能力範囲」と言う考え方を普及し、自ら判断した「能
力範囲」を逸脱しないよう提言します。
そして「能力範囲」を判断する過程においての危険予知シート作成とそのチェック、そしてロギングと次回潜水時のフ
ィードバックをレジャーダイビング界に普及しましょう。
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