Medical Information Network for Divers Education and Research ワークショップ 「 環境とダイバーの技術的な問題点 」
テクニカルダイビング
田原 浩一 日本安全潜水教育協会
● テクニカルダイビングって何だ?
テクニカルダイビングは講習システムを基本としたレジャーダイビングの一ジャンルです。
ただし、フィールドや使用器材、使用ガス等は、一般のレクリエーショナルダイビングの想定とは異なります。
例えば、それは減圧ダイビングや、水中洞窟や沈船の内部侵入、水深40mを越える大深度等の難易度の高い環境
であったり、あるいは、リブリーザーのような特殊な器材を使うダイビングであったり、必要に応じて呼吸ガスに空気と
は成分の異なるガスを使うミックスガスダイビングや複数のガスを深度によって使い分けるマルチガスダイビングであ
ったりします。
したがって、テクニカルダイビングの絶対的なリスクの大きさは、一般のレクリエーショナルダイビングのそれを大きく
超えたものとなる場合がほとんどです。
しかし、だからと言って、テクニカルダイビングが危険で大それた挑戦的なダイビングだと解釈することは間違いで
す。
ダイビングのリスクには大きく分けて二つの種類があります。ひとつは、一般に言われる、潜る環境やテーマ、器材の
扱いの難易度等を基準に考える絶対的なリスクです。
そして、もう一つは、ターゲットとするダイビングに対するダイバーの対応力を基準に考えた相対的なリスクです。
テクニカルダイビングは、あるダイビングにアプローチする際、そこに潜むリスクを可能な限り洗い出し、認識し、その
リスクに対する対策を万全にした上で、初めて実際のダイビングをスタートするという考え方と手順に基付いて行われ
ます。
そこには最新のアルゴリズムによる潜水計画や水中に持ち込むガスの量と、ガスの種類や残圧によって行動をコン
トロールする緻密なガスマネージメントも含まれています。
したがって、多くの場合、その相対的なリスクの大きさが、一般のレクリエーショナルダイビングを超えることはありませ
んし、むしろより小さいリスクの中でのダイビングとなる場合が少なくないように思います。
テクニカルダイビングはいわゆるエクストリームダイビングではなく、無事に生還することを重視した非常に慎
重なダイビングなのです。
● 安全潜水とテクニカルダイビング
一般のレクリエーショナルダイビングは、"誰にも出来る""安全で簡単なレジャー"であるという商業的に便利なアピー
ルによって、そこに潜むリスクが認識されにくい(認識させない)状況に陥っているように見えますが、テクニカルダイビ
ングは見るからに危険だと思われるテーマやスタイルを持つダイビングであることが幸いして、講習やトレーニングの
際に、そしてまた実際のダイビングにアプローチする際に、リスクとそのマネージメントに関して考える時間を大きく取る
ことが当然となっています。
しかし、ちょっと考えてみてください。一般のレクリーショナルダイビングとテクニカルダイビングの間に"根源
的"なリスクの違いなんてあるのでしょうか?
活動のフィールドは共に水中ですし、生存をスクーバユニットに異存している点、浮力コントロールや、水深・時間・ナ
ビゲーションのチェックに器材を用いる点、トラブルやアクシデントが起きた際にスムーズで的確な対応が出来なけれ
ば短時間で命の危険に発展する可能性がある点等にジャンルを分けて考えるべき相違点があるようには思えませ
ん。
つまり、レジャーのスクーバダイビングである以上、レクリエーショナルだから、テクニカルだから、というジャンル分け
を基準にしてリスクに対するアプローチのスタイルを変えるのは、実はおかしな話なのです。
テクニカルダイビングは一般のレクリエーショナルダイビングから独立して存在するワケではなく、活動の領域を拡大
した同一線上に存在するダイビングなのですから。
従って、テクニカルダイビングにおけるリスクマネージメントの「発想・考え方」とアプローチを一般のレクリエーショナ
ルダイビングをリスクマネージメントに当てはめて考えてみることは決して筋違いな話ではなく、一般のレクリエーショナ
ルダイビングにおける安全潜水のためのひとつのアプローチとしても有効な方法ではないでしょうか。
● リスクマネージメントについて考える
では、ここで、テクニカルダイビングにおけるリスクマネージメントの一例を紹介してみましょう。
まず水中では生存を依存することになる器材に関してです。
器材に関しては3つのポイントが重視されます。まず、壊れにくく信頼性が高いこと、扱いやすく性能的に優れている
こと、そして壊れた際のバックアップです。
BCを例に取って考えてみましょう。一般に多く見られるプラスチックのバックルを多用したBCは、バックルが割れたり
外れたりする可能性を考えると、壊れにくいという原則から外れることになります。
インフレーションやタンクセットを楽にするシステムも複雑になると、故障や誤操作のリスクを増やすことになりかねま
せん。
また、過剰なデコレーションやファッションとしてのヘビーデューティーは、本来必要とされる性能(例えばエアの抜け
や、思い通りのポジションにエアを移動することでのトリムコントロール性)をスポイルしたり、不必要な抵抗の元となる
可能性があります。
テクニカルダイビングでは、こうした視点でBCをチェックするワケです。また、万一、BCのエアバックやインフレーター
にトラブルが起きて浮力がキープ出来なくなった場合に備えて、予備の浮力体も用意します。
ドライスーツで潜る場合は、スーツがその役を果たしますが、ウエットスーツの場合は予備の浮力体としてリフトバック
やマーカーブイを携帯します。
器材は器材である以上、いつか必ず壊れる、そして往々にして最も壊れて欲しくない時に壊れるというマーフィーの法
則を基本にした考え方は、器材自体だけでなく、構成構成を考える上でも注目すべき原則なのです。
また、マーフィー先生の意見を尊重して器材構成を考えてみると、生存に必要な器材は必ずバックアップを持つこと
が"生存と生還にこだわるダイビング"の前提となることがわかると思います。
したがって、テクニカルダイバーは呼吸源、浮力体、視覚をキープためのマスク、水深や時間をチェックするゲージ、
カッティングディバイス等の基本的な器材は各自でバックアップを携帯し、それらが必要な時はすぐに使えてかつ収納
時は無駄な抵抗やひっかかりの元とならないよう、ストリームラインの器材構成を心がけています。
同時にそれは、器材を吟味し、必要のないモノは水中に持ち込まないというスタイルにも通じることとなり、我々はそ
れらを尊重すべき KISS (Keep it simple and
smooth)の原則と呼んで、器材の選択や構成を考える上での発想の
原点としています。
一方、レクリエーショナルダイビングではバックアップの多くの部分をバディシステムがカバーしているわけですが、現
状、それが本当にバックアップのシステムとして正しく機能しているかは、今一度考えてみる必要がある気がしますし、
レクリエーショナルダイビング用の装備で単独ダイビングを行う場合はアクシデントに対する対応の幅が極めて狭い状
態でのダイビング(生還に関して運を天に任せる部分のあるダイビング)を行うことを自覚する必要があると思います。
器材のトラブルの中には、技術や体力では対応不可能な部分が含まれています。
例えば、レギュレーターの故障でエアが止まる時、それに気付くのは息を吐いて、次に息を吸おうとした瞬間です。
例え水深が20m程度であったとしても、息を吐いた状態で見上げる水面は実際以上に遠く感じるでしょうし、10m離れ
た位置にいるバディが異変に気付いてセカンドステージを差し出しながら一目散に泳いで来てくれるという奇跡を信じる
なら、今まで生きてきた環境がちょっと恵まれすぎていたと考えた方がよさそうです。
もちろん、単独で潜っていてはそんな奇跡に希望を託すことも出来ません。
また、さほど必要でない器材をクリスマスツリーのようにぶら下げるタイプの器材構成は、その乱雑さがトラブルの元
となったり、ありはトラブルへの対応の妨げになる可能性を持っていることを認識する必要があるでしょう。
常に起こりうるリスクとそのリスクへの対応を考えると、おのずと安全潜水へのアプローチが見えてくるように思いま
す。
スキルに関しても同様です。基本スキルが未熟な状態は、明らかにスキルレベルの高い状態に比べてハイリスクで
す。
例えば、水深のキープや浮上速度の厳密なコントロール、移動の基本であるフィンスイム等、ダイビングを楽しむ上で
必須の基本技術が未熟なダイバーは、それが様々なリスクを自分から身近に呼び寄せているに等しい状態であること
に気付くべきです。
ダイビングが、場合によっては簡単に命の危険に結びつくトラブルの可能性を秘めていると自覚すれば、スキルアッ
プのためのトレーニングを考えるか、あるいは、現状で楽しめる範囲をしっかりと把握し、自身を取り巻く環境も未熟さ
をカバーするためにアレンジする(その最も端的な例は体験ダイビングです)ことが必要となるハズです。
● ハイキングとダイビング
一方で、トラブルが起きた状態でトラブルの解決を図るには、ストレス下でも我を忘れることなく最善を尽くすことが出
来る冷静さと強い精神力が不可欠となります。
どんなに高い技術や知識、身体能力を持っていても、パニック状態に陥れば、何もないのと変わりません。
そうならないための一つの方法が、ストレストレーニングであり、正しいトレーニングを積んできたという裏づけのある
自信の獲得です。
テクニカルダイバーはこうした理由からトレーニングの継続をダイビング活動の一環と考えます。
また、体力的な余裕は精神的な余裕に通じます。同じ負荷がかかった時により余裕を持って対応可能なダイバーは
余裕のないダイバーに比べてトラブルからより遠い位置を保つことが出来ますし、トラブル時の対応にも余裕を持つこ
とが出来ます。
つまり、フィジカル面でのトレーニングも、リスクマネージメントに通じるのひとつの要素なのです。ただし、これは全て
のダイバーにフィジカルトレーニングを強制するということではありません。
自身の体力を把握して、無理のない環境を選ぶ、という選択も立派なリスクマネージメントでしょう。
一般のレクリエーショナルダイビングにテクニカルダイビング的なリスクマネージメントを全て当てはめるには無理が
あると考える方もいらっしゃるでしょうが、少なくとも、その考え方を参考にして自分のダイビングを見直してみる価値は
あると思います。
運を天に任せている部分があることに気付けば、能動的に行動してそれを改善してゆくことも出来るでしょうし、少なく
とも、リスクを認識することで、それを避ける方法を探る道筋は見えてくると思います。
時として、ダイビングをハイキングに例えてリスクの低いレジャーだとする節を聞くことがありますが、この節には根本
的な間違いがあることはもう皆さんお気づきでしょう。
水中は陸上と違って、本来、人間の生きていられない環境であり、生存そのものを器材に異存していることは決して
忘れるべきではありません。さらに、例えば驚いた時に息をのむ、とか、鼻で息をするとか、危ないと思ったらその場か
ら一目散に逃げる、といった本能的な反応が、トラブルの元となって命の危険に発展する可能性もあるのです。
つまり、何事もない状態での運動量がハイキング並であったしても、ハイキングとダイビングは、全く異なるレジャーで
あり、そうしたレジャーを行う上でのリスクマネージメントがハイキングと同様であってならないのです。
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