Medical Information Network for Divers Education and Research 「 減圧障害の発生機序 その予防と治療 」
鈴木 信哉 防衛医科大学校防衛医学研究センター
異常環境衛生研究部門
減圧症(Decompression sickness: DCS)と動脈ガス塞栓症(Arterial gas
embolism: AGE)及び両者の
鑑別が困難な病態を総称して減圧障害(Decompression illness:
DCI)という。本講演では、減圧障害の
発生機序及びその予防と治療について述べる。
1 減圧症
気泡出現が必ずしも減圧症の発症と一致するわけではないが、気泡出現の程度に比例して減圧症が発症しや
すくなるという報告があり、気泡の出現は、減圧が適切かどうかのある程度の目安となる。
減圧症は気泡が組織内や血管内に形成されることにより惹起される病態であるが、減圧症は臨床症状により、
I型(軽症)及びII型(重症)減圧症に分類される。減圧症を起こしやすい要因としては、
@寝不足、疲労、ストレス(不安)
A脱水(飲水不足)
B潜水前の飲酒
C肥満
D高齢
E病気やけが
F減圧停止を必要とする潜水
G繰り返しの潜水
H潜水前、中、後の運動過多
I冷水での潜水
J潜水後の飛行、山越え
J高地での潜水
などがある。
また、実際に減圧症を起こしやすい危険なダイビングとしては、
@減圧をスキップする
A急速浮上
B潜水後の高所への移動
C深度165フィート(49.5m)以上の潜水
D1日3回以上の潜水
E深度130フィート(39m)以上の再潜水
Fバディダイバーの減圧症罹患
などがある。そのため、減圧症の発症リスクを軽減するには、
@深度100フィート(30m)以上の潜水をしない
A1日3回以上の潜水をしない
B潜水直後の重作業を避ける
C潜水前中のアルコール・薬物使用を避ける
D事前に用意周到な潜水計画を立てる
E疲労している時や病気の時は潜水しない
Fダイビングコンピューターを過信せずに潜水時計や深度計を常時使用する
G1年未満の初心者は経験者と潜水する
H減圧症や空気塞栓症の症状を知っておく
I潜水事故が発生したら速やかに通報する
といった注意が必要である。
2 動脈ガス塞栓症
単に空気塞栓症(Air
embolism)ともいう。動脈ガス塞栓症の一つの病態としては、減圧時に気道が閉じるなど
肺が何らかの原因で過膨脹になり、気泡が肺の毛細血管に入り、肺静脈→心臓→動脈を介して末梢の組織で
気泡による塞栓症状を呈するものがある。
この際、肺胞の破裂を生じる場合もあれば、破裂を伴わないものもある。
塞栓部位により症状が異なり、
頚動脈を介した脳塞栓症の場合は、意識障害、痙攣、片麻痺、視力低下などの症状が、
心臓の冠動脈を介した場合には心停止や不整脈が発生する。
また、随伴症状として気胸、血痰、皮下気腫及び縦隔気腫などが現れ、特に気胸の場合、浮上中に緊張性気胸
を呈することがあり、ショックに陥る場合もある。
動脈ガス塞栓症を起こしやすい基礎疾患として、
@気腫性嚢胞、肺気腫
A気管支喘息
B気管支炎
C心房中隔欠損症等
がある。心房中隔の機能的開存は、正常人でも10?30%と高頻度にあると報告されているため、水面からボート
に上がる時などは右房圧が高まる可能性があり注意が必要である。
診断のポイントとして、意識障害や痙攣のほかに皮下気腫や血痰などがあれば、動脈ガス塞栓症の可能性が
高く、潜水プロフィールからの情報として水中でトラブルがあって急浮上したのであれば、ほぼ間違いない。
浮上中の息こらえや咳あるいは深吸気により肺の過膨張を引き起こしやすいが、トラブルがない正常の潜水でも
動脈ガス塞栓症をおこすことがあり、注意が必要である。
減圧症は、時間の短い浅深度の潜水であれば発症の可能性はそれだけ低くなるが、一方動脈ガス塞栓症場合、
短い或いは浅い潜水、例えば深度2m程度のプールでも発症の可能性は十分にある。
発症時期も診断に重要であり、潜水終了直後特に10分以内に出現した意識障害は、まず動脈ガス塞栓症を考え
なければならない。
意識障害は減圧症と動脈ガス塞栓症のどちらにも出現しうる症状であるが厳密に診断する必要はなく、重症の減
圧障害としての治療計画に従って緊急再圧治療を行う。
3 減圧障害の治療
1)発症現場における処置
減圧障害の症状を認めた場合には、一般的な救命救急処置をしながら、再圧医療機関への連絡・搬送を実施す
ることになる。現場での処置としては、
@救急処置ABC
A水平仰臥位(意識障害時:昏睡体位)
B酸素投与(リザーバ付酸素マスク10L/min)
C水分補給・輸液 (糖分のみ又は糖分の多い輸液は不可)
D排尿確認
が必要である。患者の体位は水平仰臥位として、意識障害があるときには、昏睡体位とする。
2)患者輸送時の留意点
日本の再圧治療施設の分布には偏りがあり、更に他の患者の治療中には対処できないため、減圧障害を有する
患者を搬送する前に、緊急の再圧治療が可能かを受け入れ先の再圧治療施設に確認する必要がある。
輸送時の留意点は、
@高濃度の酸素投与
A高度300m以下
B症状・バイタルの変化
C保温
が挙げられる。
3)再圧治療の原則
減圧障害に対し、
@迅速・適切な再圧治療
A最も重篤な症状に対して治療
B意識障害の場合は重篤な減圧症又は動脈ガス塞栓症として対処
C軽微な症状に注意(疼痛に隠れた神経症状)
D急性期の症例では、できるだけ初回治療での完治を目指す
E減圧障害が否定できなければ再圧治療
F症状自然消失でも、その症状に対応した再圧治療
という原則で臨めば、最大限の治療効果が期待できる。
意識障害を伴う重篤な場合でも、関節痛のみの軽症の場合でも同様である。
逆に、この原則に従わない場合、患者に不利益をもたらす可能性が大きくなる。
例えば重症例では分単位の再圧開始の遅れによる神経障害の遺残及び固定化が起きる。関節痛のみの軽症
例であっても再圧治療を実施しなかった場合、以後の潜水により再燃又は再発しやすくなるのはよく経験するこ
とであり、長期的な観点からも骨壊死に発展する可能性を持つことになる。
4)患者の緊急度分類
症状の重篤さ、臓器障害(筋骨格系、中枢神経系、内耳、心肺循環系)の有無、時間経過による症状の変遷によ
り、患者は3段階の緊急度に分類される(表)。再圧治療はできるだけ速やかに実施するのが基本であり、この分
類は、再圧治療開始までにどれだけ時間的余裕があるかを理解する上で有用である。
5)再圧治療施設・装置について
減圧障害に対しては第2種装置を使用した高気圧酸素治療が基本となる。第1種装置の場合には,患者の容態
急変(気胸、心肺停止、嘔吐・誤嚥、酸素中毒による痙攣など)への対応が非常に困難であるためである。
第2種装置を保有する施設への移送が困難であり、明らかに患者の予後が悪くなる場合で、第1種装置による治
療の危険性や治療限界を考慮に入れても、治療が優先されると判断された時には、再圧治療表に準拠し空気加
圧(酸素マスク装着)型の第1種装置による治療を実施することになる。
しかし、治療終了後は可能な限りすみやかに第2種装置保有施設への移送を考慮しなければならない。
酸素加圧型の第1種装置については,真にやむを得ないと判断された場合以外は使用してはならない(緊急避難
的使用)。
6)「ふかし」について
潜水後の減圧障害の症候出現に対し、ダイバーを再び水中に潜らせて再圧治療を行う「ふかし」は、空気による
水中再圧ということになるが、oxygen
windowの理論により非効率的でかつ「ふかし」の間に組織に移行した不活
性ガスにより、更に重症化する危険性があるので、「ふかし」を行ってはならない。
4 再圧治療後の潜水への復帰
減圧障害発症後、再圧治療により症状が消失した場合には、
@T型減圧症に対する米海軍再圧治療表5で治療したものは48時間
AT型減圧症に対する米海軍再圧治療表6で治療したものは1週間
B斑状の異常感覚の時は2週間
C他のU型減圧症及び動脈ガス塞栓症の時は4週間
D米海軍再圧治療表4,7で治療したものは3ヶ月間
潜水を避けなければならない。
また症状が完全に消失しない限り、潜水の許可はできない。また、内室介助者についても減圧障害発症予防の
ため、米海軍再圧治療表5,6,6A,9を使用した場合は24時間、米海軍再圧治療表4,7を使用した場合は
48時間潜水や再圧治療に従事できない。
5.再圧治療後の飛行
再圧治療終了後、再燃・増悪を防止するため、
@I型減圧症で、治療により症状が完全に消失したものは24時間
AII型減圧症で、治療により症状が完全に消失したものは48時間
B減圧症、動脈ガス塞栓の症状が残存している場合は72時間
C米海軍再圧治療表4,7を使用した場合は最終治療から72時間
飛行機搭乗を控えなければならない。ただし、飛行機が機内高度2300ft以下を飛行する場合においてはその限
りではなく、また機内が1気圧まで与圧可能であれば、特に問題は生じない。
内室介助者についても減圧障害発症予防のため、米海軍再圧治療表5,6,6A,9を使用した場合は24時間、米
海軍再圧治療表4,7を使用した場合は72時間、飛行機搭乗を避けなければならない。
6.さいごに
ダイバーは、減圧障害をできるだけ起こさないよう適切に潜水を行う教育を受け、減圧障害にかかった場合どの
治療施設へ受診するかなど、潜水前に計画を立てるなど用意周到な計画と準備をもって潜水を実施すべきである。
減圧障害発生時は現場での処置や判断は適切でなければならず、患者搬送時の注意と共に搬送先の調整も重要
である。
日本の再圧治療施設は地域により偏りがあり、必ずしも第2種装置で十分な治療が実施できる態勢ではない。
治療のできる施設間で連絡を密にして減圧障害の患者を最寄りの適切に治療の実施できる施設への紹介や、
治療困難な重症例が発生した場合には専門的な治療情報が適宜得られるネットワークを構築することが急務で
ある。
[参考文献]
1)U. S. Navy Diving Manual. Revision 4, Naval Sea Systems
Command Publication NAVSEA 0910-LP-708-8000.
March 2001.
2)池田知純: 潜水医学入門 安全に潜るために.東京,大修館書店,121-133,1995.
3)鈴木信哉, 堂本英治:再圧治療. 高気圧酸素治療法入門, 第4版, 日本高気圧環境医学会, 2005.
4)鈴木信哉,新海正晴,小原一葉,堂本英治,橋本昭夫,重光陽一郎,大塚八左右,伊藤敦之,北村勉
:減圧障害に対する再圧治療表の適用について.日高医誌 33: 127-142, 1998.
5)堂本英治、鈴木信哉、和田孝次郎、赤木淳、北村勉
:減圧障害(減圧症と動脈ガス塞栓症)に対する再圧治療マニュアル作成の試み. 日高圧医誌36: 1-17,
2001.
6)鈴木信哉:減圧障害の治療.日高圧医誌41: 59-72, 2006.
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