Medical Information Network for Divers Education and Research ダイブコンピュータが示す「無減圧潜水時間」の危険性
今村 昭彦 株式会社タバタ 企画制作部製品広報課
減圧症患者数が増加した理由
東京医科歯科大学医学部附属病院で減圧症の治療を受けるレジャーダイバーの数は、ここ数年間は年間300人〜
400人にのぼり、全国では1000人近い減圧症罹患者がいると推定されています。一昨年の秋には沖縄の琉球新報や
八重山毎日新聞の社会面に、それぞれ「減圧症の患者数増加に歯止めかからず」、「厚生労働省が潜水事業者に注 意を呼びかける」というようなタイトルの記事が載り、石垣島八重山病院での減圧症患者の急増状態が報告されていま す。記事内には「自分の意思では排泄できない重症患者がいる」とか「このままでは死者が出る」というシリアスな言葉 が並び、沖縄八重山諸島でのインストラクター及びレジャーダイバーの減圧症増加が危惧されています。これはダイビ ング業界にとっては危険な兆候で、このような記事が新聞に載ることによって「ダイビングは危ない」というイメージが定 着して、ダイバー人口の減少に拍車がかかることが懸念されます。 さて、減圧症罹患者が増えたのは、諸般の状況や各種減圧症関連データを鑑みるとダイブコンピュータが普及したこ
と、すなわちダイブテーブルからダイブコンピュータに減圧管理の方法が変わったことが大きな要因だと考えられます。 減圧症の発症要因は様々ですが、その中で最も大きな要因(直接的要因)となり得るのが浮上速度違反です。ダイブ コンピュータにはアラーム音等で浮上速度違反を伝える機能がほぼ全ての機種に備わっているのに、減圧症患者数 が逆に増加してしまった理由は何でしょうか?その点においては、むしろダイブテーブル時代の方が減圧症予防面で 希薄な部分があったにもかかわらずです。 減圧管理法がダイブテーブルからダイブコンピュータに移行して最も大きく変わった点は、ダイバー一人一人が体内に
蓄積する窒素量が増加したという点です。経験者の方であれば誰でも感じている通り、明らかにボトムタイムで減圧管 理をしていた一般的なダイブテーブルよりマルチレベルタイムで減圧管理をするダイブコンピュータの方が長く、時に深 く(この言い方は必ずしも適切ではないですが)潜れるようになったことは事実です。(注:特殊なパターンではダイブテ ーブルの方が甘い無減圧潜水時間を出す場合もある。)特に繰り返し潜水に対しては非常に寛容になり、ダイブテーブ ル時代には事実上不可能であった1日5本、6本というようなダイビングも「無減圧潜水時間を守りさえすれば大丈夫」 という観点でダイブコンピュータを使用すると、それなりに可能となりました。人間の身体に減圧症に対する免疫性が出 来たわけでもないのに、ある意味、大きな規制緩和が生まれたのだと言えます。 ダイブコンピュータの問題点
実は、現在市場に出回っているダイブコンピュータには、大きな三つの問題点があります。まず一つ目は、減圧管理
情報を無減圧潜水時間だけで表していることです。 時間軸だけで表していると、メーカー別による M値やハーフタイム設定のわずかな違いやコンパートメント数の違いなどによって、浅くて長い潜水の場合や、反復潜 水を重ねたりした場合に、表示される無減圧潜水時間に大きなズレが生じてきてしまいます。二つ目は、「速いコンパ ートメント」と「遅いコンパートメント」が決定する無減圧潜水時間には本来危険度に差があるのですが、それをダイバー に伝えることができていないことです。そして、三つ目は、どんなに窒素を体内に溜め込むようなダイビングをしても、浅 いところに浮上すると、無減圧潜水時間が長く表示されてしまうことです。それによって、ダイバーはあたかも窒素が抜 けたかのような錯覚をしてしまい、知らず知らずのうちに体内窒素を限界ギリギリまで溜め込んでしまいます。 つまり、減圧症を予防するためのツールであるはずのダイブコンピュータは、正しい使い方を理解していないと、知ら
ず知らずのうちに体内に窒素を溜め込んでしまうという負の側面を持っているのです。インストラクター、ガイドダイバー の方はもちろん、一般のダイバーの方もそういったダイブコンピュータの基本的メカニズムを知っておくことは、本来は とても大切なことだと言えます。しかし、実際にはおそらく殆どの方がそれを知らないのが現状です。そして、知識がな い状態でダイブコンピュータを使っているが故に、窒素を体内に取り込み過ぎてしまうケースが生まれてしまうのです。 まさに、"両刃の剣"、それがダイブコンピュータなのです。 ヘンリーの法則
さて、ダイブコンピュータのメカニズムを知る前に、覚えておかなければならない物理の基本法則があります。それ
は、「体内窒素圧は周囲圧(呼吸圧)に対して常に平衡状態に向かう。」というヘンリーの法則です。これを軸にして考え ることが減圧理論上ではとても大切です。実はダイブコンピュータはこの法則に基づき陸上でも常に演算を行っていま す。水中だけでなく、一定間隔で気圧を計って窒素の吸排出計算を行い、体内の窒素状態と同じような状態を常に各コ ンパートメント上に作り上げているのです。 例えば人体では日常、大気圧の変化に対しても窒素の吸排出があります。気圧が高くなると、それに比較して体内組
織の窒素圧が低くなるので体内組織に窒素が吸収されて行きます。逆に気圧が低くなると、体内組織から窒素が排出 されて行きます。同様に平地から高所に向かうと、周囲圧(気圧)が低くなるので、体内窒素は排出されて行きます。し かし、窒素の吸排出が「遅い組織」が周囲圧に平衡するまでにはとても時間がかかります。ダイブコンピュータも同じよ うに周囲圧に対する平衡状態を計算しているので、そのような時には、一時的に「遅いコンパートメント」に余裕がなくな ります。そのため、高所潜水をする際には、現地でしばらく待機する必要があるのです。また、周囲圧(気圧)と水圧の 差が海面に比べて大きいので、浮上条件や減圧要件も厳しくなります。 一方、高所(800m以上)に住んでいる人や長時間飛行機に乗っていた人が短時間で海面に移動すると、「遅い組織」
に窒素が吸収されて平衡するまでに時間がかかるので、ダイブコンピュータの計算上では、「遅いコンパートメント」の 体内窒素圧に余裕があること(マイナス飽和状態)になります。よって、そのような状態の時には、疲労や血液の循環 状態を無視すれば、減圧理論的には安全方向に働くことになります。(※逆に、ダイビング後の高所移動は危険な状態 となります。) ヘンリーの法則は水中でも全く同じことですが、気圧変化と比較して急激な周囲圧変化が起こります。窒素の吸排出
の「速い組織」は短時間で平衡状態に向かいますが、「遅い組織」は平衡状態になるまでにとても時間がかかります。 体内の窒素圧が周囲圧(水圧)に対して、高ければ体内窒素は排出され、低ければ吸収されます。ですから、ダイビン グ中に浮上をして行くと、その水深に対して飽和平衡状態にあるかどうかを分岐点に、「速い組織」は体内窒素を排出 しているのに、「遅い組織」は体内窒素を吸収しているという状態が生まれます。「速い組織」は許容圧力が高く、深い 水深(周囲圧)まで減圧停止をしなくても耐えられますが、「遅い組織」は許容圧力が低く、浅い水深までしか耐えられま せん。しかし、「速い組織」は窒素の吸排出が速いので、許容限界点に短時間で到達してしまいますが、「遅い組織」は 許容限界点に到達するのに時間がかかります。 ハーフタイムとM値
ダイブコンピュータは人間の身体と同じように窒素の吸排出の速度の「速い組織」〜「遅い組織」に分けて計算を行っ
ています。この基本的な考え方は100年以上前にホールデン博士が人間の体内を窒素の吸排出速度の違いによって5 つのコンパートメント(仮想組織)に分けて考えたことに遡ります。博士は周囲圧と体内組織の窒素圧比が1:2までな ら、体内に気泡が発生せず、減圧症にはならないと単純に考えました。そして、窒素飽和までの時間は、「ハーフタイム の経過毎にその組織区画の飽和までの半分が溶け込むことの繰り返しにより、指数関数的に決まる」というダイブコン ピュータの減圧計算の基本的な考え方も生まれました。 このハーフタイムは、M値と並んでダイブコンピュータの減圧計算の基本となる数値で、体内組織によって異なる窒素
の吸排出のスピードを表すものです。ハーフタイム5分の組織は5分後に飽和窒素量の50%が組織内に溶け込みま す。10分後には75%、15分後には87.5%、・・・・、30分後には98.4%というように飽和曲線は漸近線を描きます。よっ て、理論上の限界点はありませんが、一般的にはハーフタイムの6倍の時間が経過すると事実上の限界飽和点が来る とみなされています。 次に大きな役割を果たしたのが、U.S.ネイビーのワークマン博士です。博士は体内組織を9つのコンパートメントに分
け、ある体内組織に限度を越えて窒素が蓄積した場合には、組織内の過剰な窒素が排出されるまで、一定の浅い水 深に留まっている必要がある(すなわち、減圧停止が必要)と考えました。この限度の体内組織圧がいわゆるM値 (Maximum allowable pressure value= 最大許容圧値)です。M値を飽和点のことだと勘違いされている方が数多くいらっ しゃいますが、そうではありません。組織ごとに異なる飽和曲線上において、そのまま浮上して行っても体内組織に気 泡を生じないと考えられる限界圧力値、すなわち減圧停止不要限界点のことを指しています。M値は体内組織の窒素 圧のことなので、一般的には圧力単位で表されますが、(許容)水深に置き換えることもできます。 現在の市場に出回っているダイブコンピュータのアルゴリズムは、全てこのホールデン博士とワークマン博士の考え方
がベースとなっているものだと言えます。代表的なものには、ビュールマン博士、ハミルトン博士、ボーラー博士、など のアルゴリズムや、マイクロバブルの影響を考慮したウィンケ博士のRGBMアルゴリズムなどがあり、メーカー別(機種 別)に複数のアルゴリズムが取り入れられています。 「ハーフタイムとM値」の差と無減圧潜水時間
では、「採用されているアルゴリズムが機種別に違うのであれば、そもそもダイブコンピュータ自体が信用のおけない
ものなのでは?」と思われる方もいらっしゃることでしょう。しかし、実は各アルゴリズムには基本的に大きな差はないの です。実際に各メーカーのダイブコンピュータをチャンバーに入れて同時に圧力をかけてテストをすると、水深15mを超 えるような深さでは同じような無減圧潜水時間を表示します。ハーフタイムの設定とM値のわずかな設定の違いが、窒 素の吸排出の遅い組織ほど、つまり、水深が浅くなればなるほど、また、繰り返し潜水をすればするほど、無減圧潜水 時間に大きな差を生みだしてしまうのです。これは減圧管理要件を無減圧潜水時間という時間軸だけで表しているダイ ブコンピュータのまさに宿命と呼べるメカニズムだと言えます。 前述しましたが、ダイブコンピュータは人間の身体と同じように窒素の吸排出の速い組織(コンパートメント)〜遅い組
織(コンパートメント)に分けて計算を行っています。水深の深いところでは「速いコンパートメント」が無減圧潜水時間を 決定し、水深が浅くなればなるほど、より「遅いコンパートメント」が無減圧潜水時間を決定するようになります。また繰 り返し潜水をすればするほど、吸排出の遅い組織に体内窒素が蓄積されることによって「遅いコンパートメント」が無減 圧潜水時間に関与するようになります。この自転車のギアのようにシフトしていくコンパートメントの性質の違いが、ダイ ブコンピュータが示す無減圧潜水時間に大きな危険性をもたらしていることを、インストラクターを含む全てのダイバー が知っておかなければなりません。 さて、話を戻して、なぜ時間軸だけでとらえると誤差が大きくなるのかを簡単にご説明しましょう。例えばハーフタイム
そのものだけで考えてみてもハーフタイム5分の10%は30秒であるのに対して、ハーフタイム60分の10%は6分にもなり ます。つまりメーカーの違いによって仮に10%の設定の違いがあるとしたら、ハーフタイムが長い(窒素の吸排出の遅 い)コンパートメントほど、時間軸に置き換えた際に大きな差となってしまいます。例えば弊社のダイブコンピュータの場 合は初回の潜水で水深30mまで潜った際にはハーフタイム10分のコンパートメントが無減圧潜水時間を決定します。と ころが水深15mまで潜った際にはハーフタイム45分のコンパートメントが無減圧潜水時間を決定します。つまり水深が 浅くなればなる(反復潜水を繰り返す)ほど、メーカー別(機種別)に表示される無減圧潜水時間に差が出てきてしまう のです。 (図1)、(図2)はそのことを分かりやすく図式化したものです。(図1)は窒素の吸排出の速い組織(コンパートメント)の
窒素飽和曲線です。縦軸が体内窒素量(圧)で横軸が時間です。ご覧のようにハーフタイムが同じ組織を考えると、設 定M値の差がわずかだと、時間軸に置き換えた場合の無減圧潜水時間の差はわずかです。 (図2)は窒素の吸排出の遅い組織(コンパートメント)の窒素飽和曲線です。設定M値の差がわずかでも、時間軸に置
き換えた場合の無減圧潜水時間の差は大きいことが分かります。※グラフは説明のために多少デフォルメしてありま す。 コンパートメント=水深ごとに担当が異なる審判
各コンパートメントは、いわば無減圧潜水時間を決定する審判のような存在です。ダイバーの皆さんが絶対に知って
おかなくてはいけないのは、各審判は水深ごとに担当が変わり、それぞれの審判は担当が終わると「我関せず」の立 場を取るということです。つまり、無減圧潜水時間は各審判の合議制で決定されているのではなく、あくまでも1人の審 判が自分の担当するコンパートメントのことだけを考えて"独断"で決定するのです。ですから、前後の状況や他のコン パートメントの状況は一切考慮されません。例えば、無減圧潜水時間ギリギリのダイビングをした時でも、少し浅い水 深に浮上すると担当する審判が替わってしまい、何事もなかったかのように無減圧潜水時間が長く表示されるのはそ のためです。「その水深に滞在し続けていると、担当しているコンパートメントが最初にM値を超えて減圧潜水に切り替 わる」という1人の審判の予測的な判断をもとに常に無減圧潜水時間は表示されています。その時点で最もM値に近い コンパートメントが無減圧潜水時間を決定している訳ではないのです。 また、ダイブコンピュータは同じメーカーでも機種によってコンパートメント数が異なる場合があります。自転車のギアで
は、9段変速と12段変速では使用感が異なるように、同じアルゴリズムのダイブコンピュータでも、一つコンパートメント を飛ばした時には表示される無減圧潜水時間に大きな差が生まれてしまいます。また、その他の要素としては、ダイブ コンピュータの取り付け位置、圧力センサーの製品固体ごとの誤差(±1〜2%程度)などによっても表示される無減圧 潜水時間には差が出ます。当然、同じダイビンググループでもダイバー各々の潜水軌跡(≒平均水深)は微妙に異な るので、無減圧潜水時間には差が出てしまいます。ですから、グループで潜っている時には、メンバーの中で最も厳し い無減圧潜水時間を示しているダイブコンピュータを基準にするのは当然のことです。もちろん、以上のことから、グル ープに1台のコンピュータがあれば良いという考え方は論外だと言えます。 絶対的ではないM値
さて、このように、ダイブコンピュータは、メーカー別によるM値やハーフタイム設定のわずかな違いやコンパートメント
数の違いなどによって、浅くて長い潜水の場合や、反復潜水を重ねたりした場合に、表示される無減圧潜水時間に大 きなズレが生じてきてしまうことをご理解いただけたかと思います。それを踏まえて、もう一つ考慮に入れなければいけ ないのは、M値(=減圧停止不要限界体内窒素圧)は絶対的なラインではないと言うことです。M値が"減圧停止しない と体内に窒素が気泡化して残るか、残らないかの絶対的な分岐点"であれば、すなわち無減圧潜水時間は絶対的なも のとなります。しかし、M値はあくまでも臨床的、統計的に危険なラインであって、人によっては、また同じ人でもその時 の体調などの要因によってはもっと手前が危険なラインとなることが十分にあり得るのです。これは例えば富士山に登 った時に、7合目や8合目で高山病にかかる人もいれば、山頂まで全く平気な人がいることと同様のことだと言えます。 ですから、そもそも絶対的なものではないM値(減圧停止不要限界点)に対して、十分なマージンを取って余裕のある
ダイビングを行うことは、減圧症予防の観点からはとても大切なことだと言えます。様々な体調や体質の客(ダイバー) が混在している状況に対応しなければならないインストラクターやガイドダイバーは、なおさら必要十分な安全マージン を取ることが求められます。しかしながら、十分なマージンを取れていないのが現実で、それは講習テキストに「無減圧 潜水時間は少なくとも5分以上とる」という表現が載っていることからも分かる通り、潜水指導団体ですらダイブコンピュ ータが示す無減圧潜水時間の危険性を認識していないことが原因だと考えられます。"無減圧潜水時間が残り5分"と いうのは、例えば弊社ダイブコンピュータの場合では、水深35mのところでは窒素の吸排出スピードの速いハーフタイ ム5分のコンパートメントが決定しているので、M値に対して体内窒素圧は20%〜25%程度のマージンがあります。これ に対して水深15mのところではスピードの遅いハーフタイム45分の組織が決定するので、M値に対してわずか5%程度 のマージンしかないのです。※M値が崖だと考えると、分かりやすくなります。崖から落ちるまでの時間を無減圧潜水時 間だとすると、同じ無減圧潜水時間の場合、窒素の吸排出スピードの遅いコンパートメントほど崖縁に近づいていると 言えます。 これは、前述しましたが、減圧管理要件を「無減圧潜水時間」という時間軸だけで考えていることに起因しています。
コンパートメントごとのM値は、それぞれ減圧停止不要限界圧力値を表しています。ですから、本来は圧力に対しては 圧力、すなわちM値に対しては体内窒素圧(量)でマージンを考えないと、より安全に体内窒素量をコントロールするこ とができないのです。時間軸に置き換えると、メーカー別によるM値やハーフタイム設定のわずかな違いやコンパートメ ント数の違いなどによって、浅くて長い潜水の場合や、反復潜水を重ねたりした場合に、表示される無減圧潜水時間に どうしても大きなズレが生じてきてしまうのです。 無減圧潜水時間よりも大切な体内窒素量の管理
このようなダイブコンピュータが示す無減圧潜水時間の危険性を全てのダイバーに理解していただくために弊社が新
しく開発したコンピュータでは、(極論を言えば必要ではない)無減圧潜水時間はあえて小さく表示させ、画面の上部に 12本のコンパートメント別の体内窒素圧(量)バーグラフを表示させています。 これによって、従来の1本バーの体内窒素量グラフでは把握できなかった体内窒素量を、より正確に把握することがで
きるようになりました。従来の1本バーの体内窒素量グラフは、その時点で最もM値に近い(無減圧潜水時間を決定し ているコンパートメントとは限らない)コンパートメントの状態が切り替わり表示されているだけで、通常ダイビング中は 「速いコンパートメント」の大きな動きしか表示されません。ですから、体内窒素量の総量に大きな影響を及ぼす「遅い コンパートメント」の状態を全く把握することができなかったのです。 コンパートメント別の体内窒素圧(量)バーグラフが何故必要なのかを、分かりやすい事例でご説明しましょう。(写真
@)は、初回潜水で水深30mのところで無減圧潜水時間が残り1分の状態です。これに対して(写真A)は、水深15m のところで無減圧潜水時間が残り2分の状態です。水深30mでは潜水開始15分後に「2番目に速いコンパートメント=ハ ーフタイム10分組織」が減圧潜水切り替わり直前になります。ご覧のように潜水時間が短いために「遅いコンパートメン ト」には窒素がそれほど溜まっていません。そのため、浮上していけば、万一減圧潜水に切り替わったとしても、「速い コンパートメント」の窒素は速く排出されるので全体的に少ない体内窒素量となります。これに対して、水深15mでは50 分後に「5番目に速いコンパートメント=ハーフタイム45分組織」が減圧潜水切り替わり直前になります。ご覧のように 潜水時間が長いために「遅いコンパートメント」まで窒素が満遍なく溜まっています。そのため、仮に無減圧潜水時間の 範囲内だったとしても、「遅いコンパートメント」の窒素の排出には時間がかかるので、体内窒素量的には危険な状態 が長い時間継続することになってしまうのです。 (写真@) (写真A)
さて、このように無減圧潜水時間ではM値に対する安全マージンを十分にコントロールできないことがお分かりいただ
けたことと思います。筆者が何十例もの減圧症罹患者のダイブプロファイルをシミュレーターにかけた結果、体内窒素 量を溜め込みすぎたことによって減圧症を発症したと思われたケースがかなりの確率で見受けられます。インストラクタ ー、ガイドダイバーを含む全てのダイバーは、漠然と無減圧潜水時間を守っているだけでは十分な減圧症に対するリス クヘッジができないことを肝に銘じて欲しいと思います。 ダイブコンピュータを使っているが故の危険性
ボトムタイム式のダイブテーブル時代には最大水深×潜水時間に注意が働きがちでしたが、マルチレベル式のダイ
ブコンピュータに減圧管理が移行した今、最も注意を払うべきは平均水深×潜水時間だと言えます。つまり(模範潜水 パターンを前提とすれば)、これが体内窒素量を決定すると言っても過言ではないからです。深いところに長く留まるダ イビングは言うまでもなく危険ですが、ダイブコンピュータに従っていれば必ず浮上指示が出るので、さほど危険な状態 にはなりません。問題はその浮上指示に従って浅い水深に移動した時に、浅ければ浅いほど窒素の吸排出のより「遅 いコンパートメント」が無減圧潜水時間を決定するようになることです。 無減圧潜水時間を守りさえすれば良いと考えていると、ダイブコンピュータに従って少しずつ浅い水深に長くいるよう
な潜水パターンにシフトして行くことになります。これはゲームの「テトリス」のように「遅いコンパートメント」に窒素を隙 間なく埋めていくような行為に等しいと言えるのです。(写真B)どこかで歯止めをかけないと、いわゆる"無制限ダイビ ング"などをした場合にとても危険な状態を生み出すことが考えられるのです。そして、ダイブコンピュータが示す長い 無減圧潜水時間、タンクのエアー持ち、ダイバーが満足を得られる潜水時間などの条件が重なり合い、水圧も結構あ ることによって「速いコンパートメント」〜「遅いコンパートメント」に満遍なく窒素を溜め込んでしまう水深15m〜19mあた りの長い箱型反復潜水は、ダイブコンピュータを使っているからこそ危険な状態になりやすいことを全てのダイバーが 知っておく必要があります。 さて、他にも色々とお伝えしたいことがあるのですが、紙面の関係もありますので、最後に減圧症を予防するための
潜り方の注意を書いて、終わりにしたいと思います。これは、筆者が数多くの減圧症罹患者のダイブプロファイルをシミ ュレーターで分析した結果を踏まえて強くおすすめするものです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
減圧症を予防するために(潜り方の注意)
@浮上速度違反は体内窒素量が少なくても発症につながるので、常に最大の注意を払う。浅くなればなるほどゆっく
り、安全停止後は更にゆっくりと浮上する。インストラクターやガイドダイバーもアンカーロープなどがある場合は必ず掴 んで、一握りずつ浮上する姿勢が大切。※安全停止後の急浮上による減圧症罹患者は意外と多い。 Aダイビングの初めに最大水深に達して、徐々に浮上していく「模範潜水パターン」を遵守する。リバース潜水パターン
は「速い組織」に窒素を溜め込んだ状態のまま浮上(急減圧する)ことになり危険。そして、箱型潜水パターンは知らず 知らずのうちに満遍なく体内組織に窒素を溜め込むので危険。のこぎり潜水パターンは特にダイビングの後半に窒素 の吸排出の速い組織の体内窒素が膨張と収縮を繰り返すので危険。※全てのダイビングが浮上すれば減圧行為なの で、"海の中はチャンバー"と思う心構えが非常に大切。指導団体の用語の見直しも必要で、無減圧潜水は少なくとも 減圧停止不要潜水に改めるべき。理想的には減圧潜水は危険減圧潜水、無減圧潜水は安全減圧潜水というように根 本的に見直していただきたい。 B通常ダイブコンピュータが示す無減圧潜水時間は、水深が浅くなればなるほど危険なので、窒素の取り込み過ぎを
防ぐために、水深に応じて無減圧潜水時間に十分なマージンを加算して行く。「速いコンパートメント」〜「中間的なコン パートメント」の体内窒素量に対して例えば10%以上のマージンを取るというような考え方が必要。※指導団体の教本 に書いてある"無減圧潜水時間は5分以上"という表現は、水深による危険度の違いを全く考慮に入れていないのでと ても危険。 C減圧症を予防するにはリスクヘッジが大切。無減圧潜水時間では安全マージンが上手く取れないので、本来はコン
パートメントごとの体内窒素量をコントロールすべきである。「速いコンパートメント」の窒素は浮上の過程でなめらかに 減圧し、「中間的なコンパートメント」に10%以上のマージンを常に保ちつつ、総量的には最も「遅いコンパートメント」が 50%を越えないような(飛行機搭乗禁止時間が24時間を超えない)余裕のあるダイビングを心がけることが望ましい。 D減圧症発症リスクが高まるので、どの水深においても減圧潜水は絶対に行わないようにする。特に浅い水深での減
圧潜水は体内窒素量的にかなり危険な状態になることを肝に銘ずるべき。※減圧潜水を軽視しているインストラクタ ー、ガイドダイバーを含むダイバーが多過ぎる。 E最大水深が深くなると周囲圧も高くなり確かに危険ではあるが、ダイバーの危険意識とダイブコンピュータが示す"短
い無減圧潜水時間"を考えると、リバースダイビングをしない限りは、それほど注意を払うべき要素とは言えない。最大 水深が深くても、模範潜水パターンで潜水時間が短く、しかも安全停止をすれば危険な状態にはあまりならないからで ある。平均水深×時間の管理が重要で、(減圧症罹患者のダイブプロファイルを分析すると、)平均水深15m以上で潜 水時間が45分を超えるようなダイビングは、体内窒素を蓄積し過ぎるので避けることが望ましい。減圧理論的に、「遅 いコンパートメント」の体内窒素蓄積状態はダイビングパターンに関わらず、統計的に危険なラインを導き出すことがで きると言える。※潜水終了後90分経てば、潜り方のパターンが体内窒素蓄積状態に及ぼす影響は無視できるレベル になる。どんなダイビングパターンでも水面休息時間を90分取ると、「速いコンパートメント」の窒素状態は一定レベル に落ち着くからである。 Fダイビング後の飛行機搭乗や、(標高300mを超えるような)高所移動には十分な注意が必要。飛行機搭乗禁止時
間はその前にどのようなダイビングをしたかが問題になってくる。ダイブコンピュータの機種によっては、「遅いコンパー トメント」に窒素を蓄積すると24時間以上の飛行機搭乗禁止時間が表示される場合もあるので、控えめな潜水計画が 肝心である。 Gダイビング終了間際の水深5mで3分間の「安全停止」は、「速いコンパートメント」から一部の「中間的なコンパートメ
ント」の減圧には極めて有効である。しかし、実は模範的な潜水パターンによっては、また、浅くて長い潜水時間のダイ ビングパターンによっては、むしろ「遅いコンパートメント」に体内窒素を更に蓄積するだけの行為になってしまう場合も ある。コンパートメントごとの体内窒素量を、浮上するまでの間、常に最も安全な状態に管理できるようになることが理 想的である。 ※@〜G内に出てくるハーフタイムなどの数字は弊社ダイブコンピュータ(ランディ・ボーラー博士のアルゴリズム)のも
のです。他社製品の場合は多少異なるケースがあります。 解説:M値について
体内窒素分圧と環境圧(周囲圧)、そして水深の関係は以下の通りです。
水深=dep
[m]とすると、例えば、ハーフタイム5分のコンパートメントのM値(水深27m)における環境圧力は、水圧=1.
013+0.1005×dep [bar]=1.013+0.1005×27=3.72barとなります。 空気中に占める窒素の割合は、79%です。そして、肺の中で実際にガス交換が行なわれる空気は水蒸気で飽和して
いるので、トータル圧からこの水蒸気圧を差し引くことが必要となります。この水蒸気圧は環境圧に関わらず、0.063 [bar](37℃)です。 (※水蒸気圧を差し引くのは、ビュールマン博士の手法で、U.S.ネイビーのワークマン博士の手法で は水蒸気圧は差し引きません。) よって、吸気中に含まれる窒素分圧=(環境圧−0.063)×0.79 [bar]
=(1.013+0.1005×dep−0.063)×0.79 [bar]=(0.1005×dep+0.95)×0.79
[bar]
=2.89barとなります。
以上。
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