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高気圧作業安全衛生規則改正
〜何が変わってどうなるのか〜
望月 徹 株式会社潜水技術センター
〜何が変わるのか〜
1. はじめに
我が国の潜水業務は、高気圧作業安全衛生規則(高圧則)に準拠して実施することとされている。高圧則は
昭和47年に制定されて以来、細部については随時見直しが図られてきたものの、基本的なところは変わることが無か
った。
しかしながら、その間における潜水技術の展開は目覚ましく、当初は主流であったヘルメット式潜水はその使用頻度
が著しく減少し、替わって機動性に優れた新しい送気式潜水やスクーバ潜水が広く実施されるようになった。
また、世界では呼吸ガスに空気以外の混合ガスを用いる潜水が広く受け入れられており、酸素の使用も積極的に進
められている。
一方、従来の高圧則では潜水用呼吸ガスを空気に限定しており、酸素の使用は考慮されていなかった。また、高圧
則で制定されている減圧表はその作成根拠が定かでなく、減圧時間が国際的な標準に比較して短時間に過ぎる傾向
があること、深度90mという実施が困難な深度までの空気潜水を想定していること、諸外国では広く利用されている混
合ガス潜水や酸素減圧が考慮されていないことなど基本的な部分に問題があることも明らかになってきた。
そのようなことから、有識者による高圧則改正検討会が催され、審議の結果を経て、平成27年4月に新しい高圧則
が施行された。
改正の骨子は、
・ 減圧時の基準値を算出するための計算方法が提示されたこと、
・ 呼吸ガスの分圧制限を設けたこと、
・ 混合ガス潜水を使用可としたこと、
・ 酸素の使用も可能としたこと、
・ 酸素毒性からみた酸素使用制限を提示したこと、 等である。
これらはいずれも大きな変更であり、多くのダイバーにとっては初めて耳にする内容を含んでいる。
特に減圧浮上に関する事項は以前と全く趣を変えている。改正高圧則の目指すところは減圧表自体を提示するの
ではなく、あくまで
基準となる減圧計算方法(以下減圧理論)を示すことにある。減圧理論を理解することは容易ではないが、高圧則
の趣旨があくまで減圧表は事業者又はダイバー自身で作成することを求めているので、少なくともその初歩を理解す
る必要がある。
また、混合ガスや酸素など新たに導入される潜水用ガスは、用法を誤るとリスクを生じることもあるので、それらに
ついても正しい知識が求められる。
2. 改正の概要
高圧則は、圧気土木作業や潜水作業など高気圧環境下での業務に従事する労働者の健康障害防止を目的に
制定されたものであり、その対象は主に事業者(労働者に業務を命ずる者)とされている。
高圧則は大きく五つの項目、すなわち、
・ 高気圧業務における設備に関すること
・ 高気圧業務の管理に関すること
・ 健康診断や病傷者などの就業規制に関すること
・ 再圧室の設置及び管理に関すること
・ 潜水士等の免許に関すること
から構成されている。
今回の改正では、これらのうち「高気圧業務の管理に関すること」が主な対象となった。
主な改正点としては、
・ 事業者の責務の明文化、
・ 作業計画の策定と記録の義務化、
・ 呼吸ガス分圧による制限、
・ 減圧浮上基準の策定方法の変更、
・ 酸素曝露量の管理
である。これらのうち潜水に直接関係する事柄について以下に示す。
〜どうなるのか〜
3. 呼吸ガス分圧の制限
今回の改正によって、呼吸ガス分圧の制限が新たに設けられた。表1に対象となる気体とその分圧制限範囲を示す。
酸素についても制限が設けられ、従来潜水業務への使用を禁じていた条項は廃止された。
制限値のうち下限(18kPa)は酸素欠乏症を、また上限(160kPa)は中枢神経系酸素中毒(急性酸素中毒)の発生を
防ぐために定められている。
上限値については、ただし書きで「溺水しない措置を講じた場合」に限り、220kPaとすることが認められている。
これは、酸素減圧を対象としたもので、「溺水しない措置」とは、万一潜水中に中枢神経系酸素中毒の主な症状であ
る癲癇様痙攣が生じた場合でも潜水器を喪失したり、潜水墜落を生じることのないような措置を指す。
これらの要件を満たすためには、全面マスク式潜水器や潜水ステージの使用、救護ダイバーの配置などが必要と
なる。
4. 酸素曝露量の制限
潜水業務へ酸素を利用する場合には、前項に示した分圧による制限に加え、曝露量による制限も新たに設けられ
た。
これは、肺酸素中毒(慢性酸素中毒)予防を目的としたもので、(1)式から求められる肺酸素毒性量単位(UPTD)
によって管理される。改正高圧則では、
UPTDが1日当たり 600以下、
1週当たり 2500以下
となるように曝露量を管理することが義務付けられた。
ここで、UPTD:肺酸素毒性量単位、t:曝露時間(分)、PO2:酸素曝露分圧(kPa)
5. 減圧停止時間に関する基準の見直し
従来の高圧則では空気潜水を前提とした標準減圧表(別表第一?三)によって、減圧浮上管理を行うことが義務付け
られていた。
改正高圧則では、混合ガス潜水など様々な潜水形態に対応するために、標準減圧表による浮上管理方法を廃止し
、事業者が業務環境や作業方法等に応じて適切な減圧浮上方法を独自に定めることを求めている。
その際、基準とすべき値を知るために(2)式並びに(3)式が示された。
業務の実施に際しては、この基準を上回る減圧が必要となる。
これらの計算式は、スイスのビュールマン(A. A. Buhlmann)博士によるZH-L16モデルを基礎としたものであり、
生体を表2に示すように16の組織区画に分類し、それぞれ窒素及びヘリウムの半飽和時間が与えられ、以下に示す
計算式によって各組織区画における不活性ガス分圧が算出される。
なお改正高圧則では、表2に示した係数(a及びb値)にはビュールマン博士によるものではなく、独自の値が用いら
れている。
ここで、
Ptis : 組織区画における不活性ガス分圧(kPa)、
Pa : 大気圧(100kPa)、
Pb : 当該区間が始まる時点のゲージ圧力(kPa)、
NN2 : 不活性ガスの濃度(%)、
R : 潜降又は浮上の速度(kPa/分)、
t : 経過時間(分)、
k : loge2/組織区画の半飽和時間、
QN2 : 当該区間が始まる時点の不活性ガス分圧(kPa)、
e : 自然対数
ここで、
M : 半飽和組織区画が許容できる最大の不活性ガス分圧(kPa)、
Pa : 大気圧(100kPa)、
Pb : 次の減圧停止深度のゲージ圧力(kPa)、
a及びb: 半飽和組織区画毎に与えられた係数
(2)式はその時点で体内に溶解残留している不活性ガス分圧(Ptis)を算出するためのものであり、
(3)式はその時点の深度で許容される最大の不活性ガス分圧(M)を示している。
このPtisとMを比較し、
Ptis<Mであればその深度で停止する必要はないが、
Ptis>MのときはPtisがMを下回るまでその深度で停止しなければならない。
停止時の不活性ガス分圧計算は、(2)式を用い、R=0として計算すればよい。
これを16の半飽和組織区画毎に、計画された減圧停止深度で順に水面まで繰り返せば、それぞれの減圧停止
深度で必要な基準が求められる。
実際に潜水を行う際には、この基準を上回るよう減圧スケジュールを定めなければならない。
また、繰り返し潜水時など、より減圧症リスクの高い潜水を行う場合には、(4)式によって換算したMに拠らなければ
ならない。
ここで、α:換算係数≧1.0
換算係数αについては、想定される減圧症リスクに対して安全が確保されるよう、事業者が判断して決定することと
されている。
〜どうすればよいか〜
6. 新しい浮上基準への対応
前述のように改正高圧則では、浮上の基準は減圧表としてではなく、計算式によるものに改められた。
注意しなければならない点は、これらの式に基づいて減圧スケジュールを計算することが求められているのでは
ないということである。
計算式から算出された値はあくまでも最低限の基準であり、それを上回るものであれば、異なる方法で策定された
ものであっても使用可能となる。
図1は潜水深度18mのときに改正高圧則の計算式による減圧停止基準と、諸外国の減圧表による減圧停止時間
を比較したものである。
図1 諸外国減圧表と改正高圧則による基準の比較(水深18m)
図からも明らかなように、カナダやノルウェーの減圧表は計算式による基準を上回っているので、潜水深度18mの
ときには、カナダ並びにノルウェー減圧表は使用可能であると評価する事ができる。
一方従来の高圧則の別表第二は基準を満たしていないため、使用することはできない。
繰り返し潜水時の減圧は、前回の潜水による不活性ガス負荷を考慮しなければならないが、計算式からその大きさ
を算出することは非常に困難であることが実際の経験から明らかとなっている。
図2に改正高圧則の計算式を用いたときの繰り返し潜水時の総減圧時間と減圧表によるものとの比較を示す。
図2 繰り返し潜水時の総減圧時間の比較
※(潜水深度20m、潜水時間60分、インターバル60分のとき)
なお図の改正高圧則による基準値には換算Mは用いていない。
図からも明らかなように、計算によるだけでは、繰り返し潜水時の減圧時間は大幅に短く、危険である。減圧表では、
経験や実績を基に減圧時間を延長するよう様々な補正が施されており、その点からも実績のある減圧表の利用が勧
められる。
ダイビングコンピュータは多くの潜水で利用されているが、基準を上回るものであれば潜水業務に使用することがで
きる。
搭載されている減圧計算アルゴリズムは年々改良が加えられているので、最新のものであれば概ね利用可能であ
ると考えられる。
ただし、搭載されている計算アルゴリズムの詳細は公開されていないことが多いので、利用に際しては確認を十分
行う必要がある。
また、作業計画に減圧浮上方法を明示することが求められているので、使用するダイングコンピュータと同じアルゴ
リズムを用いて減圧スケジュールを決定しておくことも必要となる。
減圧理論を用いて独自の減圧表を策定する方法もある。これは、自らの経験やノウハウを盛り込むことができると
いう利点があるが、策定に際しては減圧理論の特徴や算出値の意味するところに関して十分な知識が必要となる。
また、策定に誤りがないか確認することも重要である。少なくとも相応の知識を有する第三者による確認や他の減
圧表との比較による評価は実施しておかなければならない。
複雑な体内外への不活性ガスの動態を簡易な式で表すことは不可能であることから、減圧計算式は妥協の産物で
あるとも言える。
したがって、使用結果から減圧表の修正を行うことが不可欠となる。これら修正に至る一連の評価分析はノウハウ
として蓄積され、減圧表を含め潜水技術を高めるための糧となる。
減圧表評価の客観的な指標としては超音波ドップラー気泡検知法によることが一般的である。
これは、超音波の反射波とドップラー効果による周波数の変化から、血流中の不活性ガス気泡を検知しようとするも
ので、先に示したカナダ減圧表をはじめ、多くの減圧表の評価に用いられている。
装置は比較的小型であり、船舶等を含めほとんどの潜水業務現場で使用可能であるが、気泡信号の等級判定は
検査員の聴取によるため、訓練と経験を積んだ熟練者でなければ正確な判定が難しいという欠点もある。
7. 高圧則改正がもたらすもの
最後に今回の高圧則改正がもたらす影響について考えてみたい。改正が図られた事柄のほとんどは潜水方法に
関するものであり、従来から懸念の多い救急再圧や教育訓練等に関しては触れられていない。
一方、減圧浮上方法は、従来の標準減圧表に準ずる方法から減圧理論を柱としたものへと大きく方向が改められた。
船上酸素減圧法や飽和潜水法などに対する検討は十分ではないように見受けられるものの、混合ガスや酸素の
使用に関する規制が大幅に緩和されたことから、様々な潜水方法が利用可能となり、潜水の自由度は大きく向上す
ることになった。
この効果を最大限に利用するためには、減圧理論等潜水の医学・科学面に注目していかなければならない。
従来、我が国の潜水は、経験を重視する方向に大きく偏重していたきらいがあった。
経験や実践が潜水業務に不可欠なことは言うまでもないが、理論の裏付けがなければ、技術として確立していくこと
は難しい。
従来の高圧則では標準減圧表の遵守が強く求められていたことから、理論を活用する機会はほとんどなかった。
しかしながら、改正によってその方向性は大きく舵を切られることになった。これを機会に潜水の理論面の一層の
充実を図るべきと考える。
《参照資料》
1)官報(号外第267号)、平成26年12月、独立行政法人国立印刷局
2)厚生労働大臣:「高気圧作業安全衛生規則の一部を改正する省令」(平成26年12月)
[http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000071152.html]
(最終検索日:平成27年3月29日)
3)厚生労働大臣:「高気圧作業安全衛生規則第八条第二項等の規定に基づく厚生労働大臣が定める方法等」
(平成26年12月)
[http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000071152.html]
(最終検索日:平成27年3月29日)
4)厚生労働省労働基準局長:「高気圧作業安全衛生規則の一部を改正する省令の施行等について」
(平成27年1月)
[http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000071152.html]
(最終検索日:平成27年3月29日)
5)労働基準局安全衛生部労働衛生課:「高気圧作業安全衛生規則改正検討会報告書」(平成26年2月)
[http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/0000037880.html]
(最終検索日:平成27年3月30日)
6)中央労働災害防止協会編:「潜水士テキスト第4版」、中央労働災害防止協会;2012
7)Buhlmann AA: Decompression-Decompression Sickness, New-York, Springer-Verlag;
1984.
8)Defense and Civil Institute of Environmental Medicine: DCIEM diving manual,
Toronto;
The Department of National Defense; 1992.
9)Naval Sea Systems Command: U.S. Navy diving manual revision 6, DC; U.S.
Government Printing Office; 2008.
10)Arntzen A, Eidsvik S, Risberg J: Norwegian Diving and Treatment Tables,
Loddefjord; Barotech, AS; 2008.
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